2016年3月28日月曜日

今週は京都撮影〜ブログのお休み


   

     日の出とともに、となりの竹林でウグイスが春の歌をうたいはじめる。

     詩人の城戸朱理さんと写真家の小野田桂子さんがプロデュースするテレビプログラム「H」(アッシュ)出演のため、今週は京都。原稿や大学の春学期からの講義の準備も無事におえ、昨日は、妻と開花したばかりの庭のしだれ桜と、見沼の桜並木をそぞろ歩き。ちょっと早めの花見をした。 

    庭のしだれ桜の古木は樹齢600年、見沼の桜並木は全長20㎞。桜並木は最近では、桜回廊なんて名づけられている。さいたま市はさらに桜を植樹して、日本一の長さにしようとしているのだ。江戸期に植樹がはじまった、歴史ある見沼の右岸左岸の桜並木は、ひなびていて静かな、かくれた桜の名所だった。過剰な宣伝によって里山の清閑な風情と自然が、こわされないことを祈るばかりです。
    京都から帰るころには、桜は散ってしまっているかもしれない。

    それでも、ことしは、京都でいいお花見ができそうだ。明日は、大正時代の名建築にして名庭園、流響院で撮影。ぼくと翻訳家の妻もきき手として出演させていただくが、今回の主役はミシュランで星を獲得した料理人・宮澤政人さん。撮影はご存知、井上春生監督。春がおとずれたばかりの京の都で、宮澤さんとの対話と、京料理をたのしみたい。たしかに緊張もするが、同世代の宮澤さんと番組でご一緒できるのは、わくわくする。

    ぼくはいそいそと荷造り。ボストンバックにスコッチのフラスクと旅盃をいれ、そうだ、スーツは、ポール・スミス・ブリティッシュ・コレクションの新作にしよう。城戸さんと小野田さんは、ぼくと妻のために新幹線のグリーン券を手配してくださった。そのおこころづかいが、ほんとうにありがたい。

    そんな事情もあって、ブログは4月4日までお休みします。この仕事をすることで、ぼく自身、なにかいいお土産をもちかえりたい。
    あと、呑みすぎ、二日酔いには、重々、気をつけること。

2016年3月24日木曜日

まつやで昼酒


    来週からしばらく京都なので、今週は〆切がおおめ。ブログもすっかりとどこおってしまった。

   今朝は埼玉新聞のための詩、論考二本、エッセイ一本をまとめて脱稿。原稿用紙に手書きなので郵便局へ。ことり、ことり、とポストに投函。

    ここ数日の座業の気晴らしに、ぶらりと京浜東北線にのってみる。そして、なんとなく神田へ。
     寿司でも、と思うが、さむいので再考。神田まつやにゆくことにする。早い時間帯なので、すいていた。まず、ビールでそば味噌、焼き鳥。ぬる燗で、写真の天ぬき。まつやの天ぷらそばは、大海老のみ。
     もう一本、お銚子をたのんで、あいたら、〆はざるそばにする。

    都内の桜はもうちらほら咲きはじめている。二月は逃げ、三月は去る、というけど、天ぬきの時季ももうおわりかしらん。

     万世で、かつサンドとビールでもかって、桜をさがしながら、歩くとしよう。そんな、近況です。

2016年3月19日土曜日

日本詩人小特集の編集


    イギリスの詩友、ジェイムス・バイロンがエディターをしているイギリスのポエトリー・マガジン『WOLF』に、日本詩人の小特集をくむことになったことは、以前も書いたとおり。
    アメリカ現代詩研究者にして秀逸な英訳者の遠藤朋之さん、山中章子さんのおかげもあって、だんだん、英訳もあつまりつつある。詩人のラインナップは、後日、書きます。

    春のお彼岸の連休は、この仕事にとりくむ。英訳のチェックに序文の執筆。編集作業は序破急でいうと、破の段階。
    目を休めるために窓から外を見ると、庭で満開のハクモクレンにつづきコブシの花が開花しはじめた。花食い鳥とよばれるヒヨドリが蜜をねらって枝にとまる。ピィーッピィ!ピィーッピィ!この音ずれをきくと、春は、すぐそこ。

    今年は桜の開花も早いと予想されている。さ来週は、ほとんど京都。京都でも花見ができるかもしれない。
    そのまえに、エディティングのめどをつけるつもりです。
    みなさん、よい連休を。

2016年3月15日火曜日

朝日新聞に詩が掲載


    本日3月15日の朝日新聞夕刊「あるきだす言葉たち」欄に、新作詩「Lune Et Calvados」が掲載されました。
    ぜひお手にとってお読みください。

    この詩は、いま書きすすめている連作詩「Asian Dream」の一篇。今作は、東日本大震災から五年が経過した被災地にささげる詩にもなっています。

    連作詩は、1991年から滞在したアメリカが舞台になっている。毎回、詩作品のタイトルを、当時ぼくがきいたり、関連のある曲からかりている。詩とジャズ、アメリカの記憶と現在の世界を交差させるこころみです。
     91、2年のアメリカ、カリフォルニア州は、いまの国際テロの発端となった湾岸戦争へと突入。ネオナチの復興、白人警官に射殺されたアフリカ系アメリカ人、ロドニー・キング事件への無罪判決など、人種差別を火口に炎上したロサンゼルス暴動といった、いまの世界状況につながる不穏な事件や問題がたてつづけにおこっていた。
    また、その年は、サンフランシスコ震災の翌々年でもある。シスコの対岸にある黒人街、ぼくが暮らしたオークランドのいたるところにも、その傷痕が生々しくのこっていたのだった。

   「Lune Et Calvados」は、日本ジャズ界のトップ・トランペッターのひとり、五十嵐一生さんのオリジナル・ナンバー。96年の4thアルバム『Tokyo Moon』の一曲目で、ほんとうに美しいバラードです。動画のリンクをはらせていただきました。


    北海道の紋別市に生まれ、北見に育った五十嵐さんは、東日本大震災被災地への支援も、ライブ活動をはじめ積極的にされている。ぼくは、アメリカから帰国し、日本の高校を卒業したものの大学には進学せず、フリーで広告や雑誌のライターをしていた。
    そのとき、『Deep Blue Rain/Issey Igarashi』でソロアルバムデビューをはたし、オープンしたてのコットンクラブ・トーキョーに出演して、鮮烈に登場したのが五十嵐さんだったのだ。現場にいあわせたぼくは、もし、日本にマイルス・デイヴィスがいるとすれば、こんなトランペッターではなかろうかと思ったものだ。そんな音と才能のかがやきをはなつミュージシャンだった。
    それから、ぼくは何度も、五十嵐さんのライブに通う。97年に発表されたリーダー・アルバム『Summer's Almost Gone』の紹介記事を雑誌に書いたこともある。90年代後半から断続的に沈黙されていたが、近年は、ライブもさることながら、あたらしい動画をアップされるなど、いよいよ磨きがかかり、健在ぶりをしめされている。
    ふたたび生で、五十嵐一生の音をじっくり味わいたいし、なにより、ニューアルバムのリリースをこころまちにしています。

    自分の詩の話が、五十嵐一生ファンからの、エールになってしまった。

2016年3月13日日曜日

「#空でつながる 写真展vol.4」へ



    3月13日、新宿駅西口からすぐのオリンパス東京にて、写真家の管野秀夫さんが主催する東日本大震災被災地支援プロジェクト「空でつながる   写真展」へゆく。
   今年で、四回目。さまざまなジャンルをこえて、プロもアマチュアも、空の写真を撮ることでつながり、被災地に祈りをささげる企画展だった。参加者には、hide、GLAYのTERUなどのミュージシャンをはじめ、写真家の小野田桂子さん、詩人の和合亮一さんなども参加されていた。

   上写真は、スペシャル・トークの模様。左から詩人の城戸朱理さんが司会。つづいて、和合亮一さん、管野秀夫さん。トークについては、別の誌面でレビューを書くかもしれないので、詳細はここでは書きません。東北出身の城戸さん、和合さんの、被災地へ寄せる率直な想いも胸をうったが、サングラスのまま言葉すくなに語る管野秀夫さんが、時折、涙ぐまれていたのも印象的だった。

    下写真は、写真家の小野田桂子さん。ニューヨーク、摩天楼の暁空をとらえた写真は、とてもすばらしかった。
    異邦の空に、彼岸とも此岸ともつかない、光と雲の海岸線がはしっている。なにか、その光景だけで、祈りの言葉になっているような。

    客席には、詩人の田野倉康一さん、渡辺めぐみさん、カニエ・ナハさんの姿も。

    会の終了後は出演者、観客全員で記念撮影。管野さんをはじめ、居酒屋にて有志で打ち上げ。夜更けまで語りあった。

2016年3月12日土曜日

ジャズ喫茶ジニアスの夕べ



   東日本大震災から五年がすぎた、昨日。明治大学中野キャンパスで開催された、シンポジウム「希望としてのRe-wildering」にかけつける予定が、結局、仕事の打ち合わせがおして終了間際に中野駅に到着。
   管啓次郎さんがコーディネートされ、写真家の赤阪友昭さんも出演したイベントに、いけなかった。東日本大震災関連のイベントのなかでも、もっとも注目していた催しのひとつだっただけに、ほんとうに残念だった。

    肩を落とし気味に、次の打ち合わせへ。中野新橋にある名ジャズ喫茶「ジニアス」で、エッセイを依頼してくださったジャズ専門誌『スイング・ジャーナル』の編集氏Uさんとお会いする。以前、発表した連作詩「Asian Dream」を読んでくださり、依頼してくださったのだ。

    気持ちを切り替えて、Uさんと楽しくジャズ談義。マスターの鈴木さんにご挨拶。道玄坂にジニアスがあったころ、何度かおうかがいしたことがあった。高校生のときだったかしらん。
    八千枚といわれるLPコレクションは健在。手短に打ち合わせをすませて、ぼくらは壁にうめこまれた巨大なJBLスピーカーのまえに陣取った。ビールと二杯目のテネシーウィスキーがあくころ、鈴木さんがこられて、「なにか、かけましょうか」。
    Uさんが、「では、モンクにしましょう」といって、バックのなかから、『耳の笹舟』をとりだす。詩集には、「セロニアス・モンクを聴きながら」というタイトルの作品があるのだが、あろうことか、Uさんが伝説のマスターにぼくを紹介すると同時に、詩を見せてしまったのだ。ぼくは、ただただ、恐縮して黙す。詩を読みおえた鈴木さんがかけてくださったのが、モンクの名盤『モンクズ・ミュージック』。なんと、ジャケットには生前ジニアスを訪れたモンク本人のサインがしてあった。

    お店にあった『スイング・ジャーナル』のバックナンバーをパラパラめくっていると、マイルス・デイヴィスが表紙の1970年11月号をみつけた。
    マイルスは前年に『ビッチェズ・ブリュー』を発表して、エレクトリック・ジャズへとターンしながら鮮烈なカムバックをはたしていたのだった。特集には、「マイルスの優雅な生活」とある。ロスの建築デザイナー、ランス・ヘイに依頼してリフォーム中のマイルスの自宅が撮影、取材されていて、おどろいた。マンハッタン、ハドソン河を見降ろす高級住宅街、リバーサイドドライブに建つ家を、数年前、ぼくも見物しにいったことがある。近隣でも有名な建築で、マイルスの注文で、外壁も内装もいっさい鋭角を使用していない。ひとことでいうと、アントニ・ガウディのカサ・ミラみたいなのだ。
    周囲の、チューダー様式の古きよきアメリカ建築とまったく調和しない威容は、かつて、すこぶる評判が悪かったらしい。このセレブな界隈にアフロ・アメリカンが住むというだけで、当時は騒がれただろう。なにせ、マイルスは銃で襲撃されたりもしているのだから。いまでは建築物としての名声もたかまり、保存運動もおこっているとか。

「居間に飾られている唯一のカラー写真はジョン・コルトレーン」

という記述をみつけ、ふたりでよろこんだ。

    「エピストロフィ」がおわるころ、鈴木さんがターンテーブルをチェンジ、Teru Sakamoto Trio『海を見ていたジョニー』をかけはじめた。津波で流されてしまった陸前高田の名店「ジョニー」からリリースされたアルバムで、ジョニーさんと鈴木さんは旧知の仲だという。「きょうはこれをどうしてもかけたかった」と、おっしゃっていた。 

   一曲目はマル・ウォルドロンの名曲「アローン・トゥギャザー」。一杯のコーヒーをまえに、ピアノにあわせて指をタップする男性がいる。ぼくらのテーブルに、また、あたらしいウィスキーがはこばれてくる。しばし、店内が静まり、音楽以外、なにもきこえてこない。

2016年3月10日木曜日

岡本啓さんと祇園のうどん



     京都の祇園で、詩人の岡本啓さんと会う。昼メシでもどう?ときいたら、急な誘いにもかかわらず、いいですよ、とふたつ返事で祇園まできてくださった。

     ぼくは、いつもの二日酔い。ほんとうは、詩人の城戸朱理さんにきいた、「グリル葵」でビフカツの予定だったのだけれど、とても食べられそうになく、祇園の老舗のうどん処「ひさご」で食べることにしたのだ。

   「ひさご」は、出勤前の芸者さん、舞妓はんが食べるうどんやとしても知られていたのだけれど、いまや観光客でいっぱい。メニューも3ヶ国語で書かれている。ぼくは早めにきてならび、タイからきたという団体客さんと英語でおしゃべり。なぜか、ともに記念撮影。

    しばらくすると、岡本さんがあらわれる。トレードマークの帽子。その前日にも老舗喫茶店フランソワにいったり、鴨川の村上春樹ランニングコースを散歩して、半日遊んでいた。ぼくは、瓶ビールと写真の卵うどん。岡本さんは、ひさご名物、親子丼。とろとろ、ふわふわの卵で、芸者さんや舞妓はんが大好きな一品だ。二年の京ぐらしで、祇園にくることがほとんどないという、岡本さん。「塔がみえると、京都ぽいですよね」。あまり京都らしい場所にはいかないらしい。そういえば、岡本さんの詩に、京都はでてこないなぁ。

    食事のあとは、また、ながい散歩。哲学の道と谷崎潤一郎の墓のある妙蓮寺をめざし、円山公園から知恩院、平安神宮まで歩くも、残念ながら、時間切れ。さむい曇天だったが、ときおりの晴れ間から、雪がきらきらとふってくる。ちかくの、岡本さんがみつけたロッジふうの喫茶店でひとやすみ。

    詩壇ではなく、詩とポエジーの話、音楽やアート、そしてもちろん旅の話をたくさんする。岡本さんは東南アジアを旅したそうで、はじめていった社会主義国、ラオスがおもしろかったという。「旅している時間がいちばん楽しいですね」との由。また、岡本さんの喫茶店のえらびかたは独特で、京都らしい個性派の老舗店よりも、あかるいインパーソナルなカフェを好むのかな。今後、ふたりでやるイベントやプロジェクトの話もできた。

    駅まで岡本さんに送ってもらい、握手。こんどは、東京は中野新橋のジャズ喫茶にいきましょう。

2016年3月7日月曜日

ごだん宮ざわさんの夜








   ふたたび、京都。さいたまにもどると、辛夷の花びらがひらきはじめている。

    京都でいま注目されている五条駅ちかくの割烹「ごだん宮ざわ」さんをたずね、お料理をいただくという企画のテレビ番組に出演予定です。

    その下見に、宮ざわさんにおうかがいした。

    お店にはいると、すぐ、本阿弥光悦のお軸。乾山にあてた茶席のさそい状で、あわせてあるのは当の乾山による染付鉢。双方、本歌。

    こんなおもてなしをうけながら、ご亭主の宮澤政人さんにごあいさつ。口清めの塩麦茶。

    ビールからはじめて、酒は三重の貴釀酒「天の戸   芳泉」大吟醸をぬる燗。ぐじのかぶら蒸し、三重は安乗のひらめお造り。お造りにつかわれているのは、清青磁の向付だろうか。

    焼物は、本ますの木の芽焼き。角絵皿は、乾山の若柳図色絵皿。これも、本歌。乾山のほんものの色絵皿で料理をいただいたのは、はじめて。
    乾山独特の筆勢でえがかれた若葉が、料理のかたわらで楽しく目をひく。ますも若ますだそうで、柳の若葉とともに、おとずれつつある春の愉しみを、舌と目で賞味させてくれた。
    
    李朝の皿に自家製からすみを贅沢にすりおろした蕎麦などがでると、うるいを和えた酢味噌をのせたほたて。うつわは、北大路魯山人。底には線筆で星印。星岡茶寮時代の向付は、もちろん、本歌。

    しまいのひと皿は、あわび。房州産だそう。だしがきいていて、歯ごたえはすごくやわらか。うつわは古唐津皮鯨で、釉調もすばらしかった。ほたてとあわびは、冬と春をかけわたす酒肴として最高だけれど、ほたてを黄緑釉のうつわに盛り、あわびが鯨とかけてあるのは、たいへん縁起がいい。

    冬のおわりから春のとば口へ。そんな物語を五感でかんじさせる品々は、いうまでもなく、お料理もうつわも、どちらもすばらしかった。
    技術と知識のみならず、本歌を実際につかわせてくれるなど、宮澤さんのこころづかいがいきとどいた、ほんとうに贅沢なおもてなしをいただいた。

    お腹もこころもいっぱいになり、詩人の城戸朱理さんから教わったバー「アイランド」へ。金柑のハイボールからシェリー樽のキルホーマン、山崎リミテッドエディション、23年ものの竹鶴、〆は苺のカクテル。

   その夜も、千鳥足でホテルへ。

2016年3月3日木曜日

山内功一郎さんが鮎川信夫賞!


    庭の河津桜が満開になった。

    そんな、今日この頃。うれしいニュースがとどく。

    本ブログでも紹介した、山内功一郎さんのアメリカ現代詩人の研究書にして評論集『マイケル・パーマー』が、みごと第七回鮎川信夫賞を受賞。

    そして、同賞の詩集部門は、蜂飼耳さんの『顔をあらう水』が受賞された。

   山内さん、蜂飼さん、ほんとうにおめでとうございます。

    山内さんは、ぼくの大学、アメリカ現代詩を研究する原成吉先生のゼミの自慢の先輩だ。
    詩への情熱、抜群の英語力と広く豊富な知識、鋭利なセンス。先輩と後輩の関係をぬきにしても、山内さんのような研究者・批評家に、もっと日本の現代詩についても書いていただきたいと思う。

   山内さん、次回作は、ぜひ日本の現代詩についての本を。よろしくお願いします。