2012年12月31日月曜日

バー・マイクスの夜

みなさん、2012年の大晦日、
どのようにおすごしでしょうか。

年末に、鎌倉にいきました。

城戸朱理さんと桂子さんに、
遅ればせの花椿賞受賞プレゼントを
おわたしするため。

マイクスでお会いして、
駆けつけ一杯、ベルモットだけのトニック。



なかはとろとろ、絶品オムレツ。新鮮な卵の香りをひきたたせるため醤油がベター。


幻のターターステーキ。

















幻のローストビーフ。




鎌倉女子は、マイクスのローストビーフを
おごるというと、絶対についてくる、そうな。

マイクスさんがローストビーフにするのは、
牛の後ろ足の付け根にある
シンタマモトサンカクという部位。
それをソルト&ペッパーをふらず
そのままローストしているという。
サシと赤身が判然とせず、
全体にピンク色なので、
舌先ののせるとジュワッととろけるよう。

ぼくも本場イギリスを含む
 数カ国でローストビーフを食べていますが、
(日本人の味覚として)
マイクスにかなうものはありません。
事実です。

城戸さんへのプレゼントは、イギリスの
ヘブリディーズの22年もののスコッチと、
フランスのベリーで、
60年デザインがかわっていないハンドメイドナイフ。
柄は水牛の角。

おふたりは、
「新詩集出版のお祝いに」と、
マイクスでのディナーをごちそうしてくれました。

Happy New Year!




2012年12月23日日曜日

うらわ美術館『日本オブジェ 1920-70年代 断章』を観に


日本のヴィジュアル・ポエトリー研究の第一人者、

金澤一志さんと、詩人の藤富保男さんから

招待状をいただき、

『日本オブジェ 1920-70年代 断章』を観に、

うらわ美術館にいってきました。


20世紀美術を革新して誕生した「オブジェ」。

いまや一般的な言葉としても定着したオブジェを

もう一度見つめなおすための展示です。


マルセル・デュシャンの「ローズセラヴィ」や

瀧口修造のオブジェ作品からはじまり、

美術、書、工芸、詩、活花など、

オブジェが最も熱かった70年代までの

日本でのオブジェの展開と成熟を

コンパクトながら充実した展示で観ることができました。


ぼくの目当ては、

北園克衛、新國誠一、高橋昭八郎、向井周太郎といった

視覚詩の展示。

北園の初期プラスティックポエムや

新國の伝説的な視覚詩集『0音』、

高橋のポエムアニメーションはもちろん、

向井周太郎の「人間」「竹語」といった

なかなか観ることのできない

オリジナル作品もありました。

(北園は2013年始から展示替えとのこと)


書とオブジェの展示では、

井上有一の「捨」「安西冬衛詩 ドクチャン」の

オリジナルを観られたのが収穫。


(井上有一の書は欲しいと思いながら、

ある画廊で「山椒魚ハ悲シンダ」の軸が

かなり高額で求められず、喜びひとしお)


工芸とオブジェの展示も、

出展数は少ないながら、

八木一夫の「作品」(1963)、

〈ザムザ氏の散歩〉シリーズにつながる

「黒陶環」も観られました。


個人的な興味からですが、

工芸とオブジェのコーナーは

もうちょっと拡張してもよかったかも。


そういえば、以前、青柳恵介さんのご自宅に

遊びにいったとき、「八木一夫の盃」を

見せてくれました。

お祝い物としての手遊びらしく、

口造りが木の葉のように薄くて軽い盃は、

宇宙船のようにきれいな流線型をしており、

陶工としての八木の技量を伺わせるものでした。


松澤宥の〈オブジェの消失〉を企図した

「プサイの鳥」シリーズは

オリジナルを初めて観ることができて感激。

とても貴重な機会でした。


ぼくの興味の中心は視覚詩でしたが、

このように幅広く楽しめて、

視覚詩へと至る日本のオブジェの流れを

しっかりと体感できる良質な展示でした。


これは展示作品ではなく、

浦和の名物、鰻のゆるキャラ「うなこちゃん」。


近いし、もう一回、観にいこうっと。

そして、帰りは鰻の蒲焼きで一杯やるのだ。

2012年12月17日月曜日

バルザックの通ったレストラン


地平線まで届く牧草地帯と

葡萄畑が広がる

フランスのベリー県。

パリから遠い田舎ですが、

多くの文人が住んでいました。


そのひとりが、バルザック。


パリから車で4時間。

友人のムッシューB

連れていってくれたのが、

バルザックの通ったレストラン

La Cognette」(ラ・コニェット)でした。




レストランは星1つ。

ホテルは星3つ。

(フランスの評価はホテルにたいし、

レストランのほうが厳しいですね)


1836年にオープンしたラ・コニェット。

バルザックの小説「La Rambouilleuse」には

このレストランの描写が度々登場。

当時の面影をうかがわせる、

ベリーの秋の伝統料理コースをいただきました。



食前酒は地ビールと赤ワイン、フランボワーズのカクテル。



前菜は秋茄子のピュレ、ジャガイモのパイ、キャビアと豚のリエットのパプリカ詰め。






次の前菜は秋の味覚の王道、トリュフのポタージュ。トリュフがたくさんスライス。





メインその1は、地産の仔羊のゼリー寄せ、秋野菜のフォアグラクリーム添え。




まったり超濃厚(笑)。お腹も心も満腹。

























メインその2は、(また)フォアグラ、

ホタテのソテーのパッションフルーツソース(左)と

ウニにフォアグラを溶かしたクリーム(右)。

ここで、お腹も心もギブアップ。


ちなみに、

フランスで料理を残すのはご法度。

料理人とスタッフのプライドを

傷つけることになるのです。

料理のポーション(分量)は、

日本のフレンチの約2倍。

「コース」を注文するときは、

日本のフレンチの物差しで考えては駄目。

「料理を残すのがホメ言葉」の

中華とは当然、真逆です。

気合いを入れて完食を目指します。




メインその3(泣)。鰆のソテー(またまた)フォアグラソース、

うずらの卵のジャガイモ包み。うずらの卵、とろっとろでした。

胃は昇天しつつあります。



口直しは「ベリーの穴」。



白ワインと梨のリキュールなどを

つかったシャーベット。

B「もうこれ以上

食べられないって思うでしょう?

そんなときに食欲にさらなる

穴を開ける。だから、

ベリーの穴なのさ」

ぼく「・・・(絶句)」

フランス国王に招待された

オールド・パー爺さんが

過食で死んだのも納得。




メインその4!(ほぼ悲鳴)。

野ウサギのトリュフソース。

野ウサギはいわゆるラパンとは

ちがうそう。

ここで食べるトリュフは

薫りが芳醇でとても新鮮。

シルクの舌触りで

サクサクした歯応えがあります。

ウサギの野趣溢れる薫りと相俟って、

野の土と秋草の匂いが鼻中に

しっとり広がるようでした。


フォアグラ、トリュフ(責め)。

秋の味覚の王者を思うさま

堪能させていただきました。

意識はベリーの野ウサギになって

宇宙を跳ねまわっています。


このあともデザートが5品ほど。

思い出すだけで「うぷっ」

となるので割愛します。




バルザックの直筆書簡。










食事の予約と

讃辞とともに料理への注文が

こと細かに綴られています。


文のみか

食欲もおそるべし

バルザック

2012年12月11日火曜日

澤村修治さんの新刊『悲傷の追想』を読む


 
 
作家の澤村修治さんから、新刊本が届きました。

『悲傷の追想 「コギト」編集発行人、肥下恒夫の生涯』

(ライトハウス開港社)という印象的なタイトル。

 

若き保田與重郎を中心に象られ、

「日本浪漫派運動」の母体ともなった同人誌『コギト』。

その編集・発行者として知られる

肥下恒夫の謎めいて数奇な生涯を、

肥下の親族の証言、書簡、日誌、作品集など

ほとんどが未発表の第一資料から浮上させた

ノンフィクションです。

 

肥下は『コギト』の実務的な編集者として

活躍するだけでなく、保田に激賞され、

少ないながらも小説、詩、

評論などを遺した文士でした。

戦後の農地解放とともに帰農し、沈黙。

さらに沈黙の果てで自ら死を選んだ人でもあります。

 

公職追放になりながらも、

戦後は華々しく多産な知識人としてふるまった

保田とは対照的な「保田の影」のような存在。

 

『コギト』といえば、

日本ナショナリズムや日本浪漫派研究においては、

保田や田中克己、伊藤佐喜雄、伊東静雄などに

舞台照明が当たりますが、

肥下は、澤村さんの言葉によれば、

保田をはじめとする「子」を産み育てた

『コギト』の「母」のような人物でした。

 

澤村さんは、この多弁な「子」らと、

言葉少ない「母」のかかわりを

当時に遡って読み解き、

『コギト』という同人誌を高め、象った

「協同の営為」(保田)の在り処をさぐります。

 

澤村さんの慧眼は何より、

これまで文献に登場する氏名でしかなかった

「肥下恒夫」をフォーカスしたこと。

 

「どのような思想運動も

始源まで遡って検討しないと、

その意味を精確に見つめることは

できないとすれば」(「はじめに」より)と、

澤村さんは仮定します。

 

滾りたつ情念の炎を氷の美文で結晶させた

保田與重郎の特異な批評の言葉は、

あまりに特異であるため、ときに理解不能であり、

その思想の核はいまもって見定めがたい。

けれども、澤村さんが指摘しているように、

『コギト』創刊当初の保田の言葉は、

激越な論調を奔流させながらも、

ときには「やわらかさ」さえ感じさせる

流路の定まった明確な批評でした。

 

それが肥下という無二の伴侶を得て、

思想運動体としての初源『コギト』に

深く傾斜していくことで論理は決壊し、

「言霊の文学」(桶谷秀昭)と呼ばれる

保田の批評に徐々に変貌してゆきます。

 

さらに言えば、保田は肥下の小説作品

「佐伯家の人びと」「しのぶ」の2篇に

自らの小説論「アンチ・デイレツタンチズム」の

理想を認め、熱っぽく激賞することで、

特異な批評言語を感覚的につかんでいく。

 

保田にとって『コギト』は

自身が参加した(編集も担った)だけでなく、

その「精神の運動体」を失速させまいとする

何よりも切実な「批評」の対象でした。

それは切実な「愛」の対象でもあり、

批評精神と情念の虚焦点には

「母」である肥下恒夫がいたのです。

 

本書の巻末には未刊行の

「肥下恒夫作品集」が付録としてあり、

貴重な資料となっています。

ぼくには保田の文章だけではなく、

また肥下の作品にも

『コギト』の熱気や「協同の営為」の空気が

滲みこみ、静かに漂っている気がします。

 

保田らの「動」を生んだ、肥下の「静」。

 

動と静の間にひととき渦巻いた風を、

狂気と呼べばよいのか、

パッション(受苦)と呼べばよいのか。

 

『悲傷の追想』読後、

いずれにせよ『コギト』に吹いた

「協同の営為」の熱風は

保田の批評精神に鎮火しがたい溶岩を植え、

沈黙を守り平静を努めた肥下にも、

死へと連れ去るほどの

激情を残して吹き過ぎたのではないか、

そんな感慨を抱きました。

 

ぼくの上記の感想を、

本書は声高に書いてはいません。

 

澤村修治さんの本は、今年2012年に出た

『宮沢賢治のことば』(理論社)から、旧作の

『宮沢賢治と幻の恋人』(河出書房新社)へと

読み進んできました。

 

どの作品もインタビューや未発表資料を

丹念に拾い、精読し、蝟集した

ノンフィクションの傾向の強い文芸評論です。

 

作家・澤村修治の魅力は、

説得力ある資料性の提出と発掘

というだけではなく、

文学者に偶然かかわった無名の人物が

ある決定的な影響を与えた可能性を

示唆する瞬間にあります。

宮沢賢治であれば、

澤田キヌのような人。

農夫や教え子たち。

人と人が偶然に出会い、

ともに生きることから、

文学は紡がれます。

 

澤村さんは資料と資料をつなげ、

沈黙していた記憶の破片と破片を近づけ、

これまでは聴こえてこなかった

詩人や作家の「声」を

音叉のように響かせる名手。

そしてそれが、

特権的な存在の「声」だけではなく、

最期まで無名の者として日々を誠実に、

懸命に生きた同時代人の「声」をも

聴きとり、響かせる作業でもあることに

ぼくは驚きを禁じえません。

 

その意味では、

『悲傷の追想』の肥下の「静」は、

どこか澤村作品のたたずまいと

通ずる気配がある気がします。

 

澤村作品の手腕が発揮されるのが

いつも沈黙の胚につつまれた声、

未生の声にたいしてであることに、
ぼくは、詩を感じるのです。

2012年12月7日金曜日

城戸朱里さん、花椿賞おめでとう!

昨晩は資生堂第30回花椿賞贈賞式に出席しました。
受賞作品は、城戸朱里さんの『漂流物』

会場は大盛況。
人込みでうまく写真が撮れません。。

詩人、小説家、文芸批評家、舞踏家、ミュージシャン、
そしてフードジャーナリストの平松洋子さんまで
多彩なゲストがお祝いに駆けつけていました。

スピーチは小説家の藤沢周さんと柳美里さん。


写真は藤沢周さんのスピーチと、
聴き入る城戸さんの後ろ姿。

審査委員の詩人藤井貞和さんは、
「無名の漂流物が詩となる瞬間、
詩がこれから詩となろうとする生成の現場を書いた」と
評価されていました。

2012年12月5日水曜日

パリより帰国


  

 フランシス・ポンジュに忘れられないフレーズがあります。


「秋の終わりは冷めた紅茶のようにかなしい」


秋の終わりにいったパリ。

まさしく、ポンジュのパリがありました。


ほかの葉は枯れてしまいましたが、

プラタナスは黄金色。

日本と同じで、近年のフランスは秋がとても短い。

ノエル(クリスマス)のテントが張られると、

スイッチを押したように寒い寒い冬がはじまります。

季節を追う幻の小鳥、

プラタナスの紅葉が地に舞い降りて。


ぼくはパリに着くと、いつも行う習いがあります。


セーヌ川に身を投げた詩人、

パウル・ツェランを悼んで薔薇を一輪、水面に献花します。


もちろん、川岸の屋根裏部屋で昼間はペン軸を握り、

夜はグラスをあげつづけた「無名の手」にも、敬意を表して。


パリは画家たちの街でもあります。

カルチェラタンの画廊や古本屋はつい覗いてしまいます。

最近は、ファインアートのほかに

バンドシネ(漫画)の原画も人気です。

新進のものに目ざといパリジャン。

マンガはもう立派なアートコレクティブの対象です。

10年前はポップアートやグラフィックだったのですが。


 ところで、秋のパリでぜひ試していただきたいのが、

冷たいスイーツ。


サン=ルイ島の老舗アイスクリーム店「Berthillon」。

http://www.berthillon.fr/

いまや世界的な人気店で、アメリカ人観光客が並んでいました
パリ、秋とくれば、栗。

マロングラッセをそのまま使ったアイスを頬ばると

濃いめのリキュールとマロン、クリームが

最初は甘く、つぎはビターになってかなり濃厚な味わい。

思わず「フランスのスイーツって深いなあ」と

つぶやいてしまったほど絶品でした。


パリジャンたちは灰色の寒空に

コートとマフラーで重装備しながら、

ショーウインドウやシルク(サーカス)を覗いてそぞろ歩き

カップルでアイスを食べるのが大人のデートらしいです。


冬を待ちうける気持ちと、去りゆく秋を悼む気持ちと。