パリを発つ前日はステーキを食べると決めていた。バスティーユの老舗ブラッスリー「ボファンジェ」Bofinger は1864年創業、パリジャンはオペラを観たあとはここで食事をするのだという。写真にはないけれど、300人は入れそうな店の奥には、ベルエポックの余韻がある大きな美しいステンドグラスの丸天井がある。この晩も超満員で、お客の1/3はパリジャンでもなければフランス人でもない。パリの王道ブラッスリーとして、いまでは知る人ぞ知るバスティーユ観光名所になっている。
じつはロラン・バルトもたびたび来店していたとか。ぼくはバルトの学生だったという老婦人からこの店のことをきき、記憶にとどめていたのだ。彼女いわく、「70年代ぐらいまでは入りやすいブラッスリーでね。美食家のバルト先生はオペラやクラシックコンサートのあと、ここでよく食事してらしたわね」。brasserieとはもともとビアホールの意味で、深夜営業、わいわい飲んで騒ぐのが許されている店なのだ。
ぼくはフランス語のムニュはほぼわからない。でも言葉のわからない異国ではそれなりの楽しみ方があって、完全に勘でオーダーする。無意識が選んだ一皿は、ときに思わぬ発見に導いてくれるからだ。「西洋人は詩集を読むようにメニューを読む」と田村隆一も書いていたから、前菜は三秒で即決。メインのステーキはわかるけれど。
しばらくすると、前菜にエスカルゴが運ばれてきた。いくらぼくでも、escargotぐらい読める。でもジョン・ケージの教えに従い、偶然を偶然として享受した。すばらしいエスカルゴだった。いや、ほんとうに美味しかった。
ワインはボルドーを懐かしみ、メドックを。ステーキは拍手をしたかったですね。料理はパリの最後の夜をしめくくるにふさわしく、大満足。お会計は、それなりに高かった。レストランよりは安いけど。レシートを見ると、品名はエスカルゴではなく、幻に終わった一皿。でも、エスカルゴより値段はだいぶ安い。担当の老ギャルソンは「あ、間違えちゃった。ま、いっか。どうせフランス語のムニュも読めない外国人だし」ぐらいのつもりだったのかも。ぼくに微笑んでくれたのは、どんな女神だったのだろう。