2015年9月30日水曜日

Ars longs, vita brevis.



    いま、二冊、書き下ろしの本を約束しており、がんばって、机のまえにいる。

   とはいえ、季節は中秋をすぎ、ここちいい秋晴れで、田園を散策したり、秋の海のかがやきを浴びながら、相模湾のレストランで白ワインを呑んでいる自分をつい想像してしまう。

    なにせ、一年でいちばん楽しみにしている季節なのだ。しょうがない。

   息抜きにわが愛読書、吉田健一の『汽車旅の酒』を読んで、「呉」という地名を見れば、いつのまにか手帳の空欄をさがしている。「気が付いて見たら汽車に乗っていた」なんてことになりかねないのだ。

    一冊の本は、原稿用紙で二百五十枚ぐらいなのだとか。今月はけっこう書いたつもりなのだけど、先は、ながい。詩は短距離走、小説は長距離走という。いま書いているのは小説ではないけれど(いまのところ、詩以外、ほかに能なし)。こうなれば、まれなマラソンを楽しみたいと思っています。

   庭にでると、マユミが紅葉しかけていて、赤い実がもう四裂していた。どこかで、百舌の高鳴き。

   イギリスの小説家ジェーン・オースティンは「秋は早く過ぎて、冬はくる。」と書いた。こうしてみると、戸外で秋を楽しみたい気もちをおさえながら、毎日執筆にとりくむオースティンさんの姿が見えてくる。小説家のいいたいことが、なんとなくわかる気がした。

    今年はがんばって、早く秋を満喫したい。人生にまだ秋があるうちに。

2015年9月28日月曜日

落羽松の森へ


   先日、「ヒアシンスハウス」まで足をのばした、 旧浦和市(現さいたま市)の別所沼公園。そこに、もうひとつ、お気に入りの場所がある。

   それが、写真の落羽松の森。ぼくの第二詩集『まどろみの島』にも登場した樹木で、北米原産らしい。松とあるが、この木はヒノキの仲間。

    愛読している米倉久邦さんの『日本の森の歴史』(山と渓谷社)によると、かつてはいったん木材として移植されたのだけれど、育成がなかなかむずかしく、アカマツやクロマツにとってかわられ、いつのまにか忘れられた樹木になった、という。

    イギリスのスコットランド、エディンバラ近郊には、神さびた、じつに壮観な落羽松の森があるのだが。ぼくは落羽松の森が大好きで、イギリスに滞在していたときは、よく森林浴をしにいった。

    その名のとおり、落羽松の葉は、小鳥の羽のようなかたちをしている。秋になると、葉はつややかな褐色に紅葉し、森いちめんに不在の小鳥たちの羽をふらせるのだ。

    写真の木立ちは、ちいさな森だが、別所沼の浮島のようにある弁天島に、ひっそりとある。ちいさいとはいえ、落羽松の森は近隣にはないので、ここを見つけたときは、とてもうれしかった。

    ちょっと大仰かもしれないけど、ぼくにとっては、かのアーサー王伝説にある、アヴァロン島。忘却のなかで、なつかしいイギリスの秋を感じさせてくれる、ちいさな聖域なのだ。

2015年9月26日土曜日

『地形と気象』#40が掲載


    左右社ホームページで連載中の、暁方ミセイさん、大崎清夏さん、管啓次郎さんとの定型リレー詩、『地形と気象』のぼくのターンが更新されました。

    ぜひ、ご一読を。


    そして、『地形と気象』が、ついにイベント化!

    会期はきたる10月の後半に、予定。詳細は、近日アップ。左右社ホームページをご覧ください。

    フルメンバーでの朗読やトーク、連詩秘話など、もりだくさんの予定です。

2015年9月23日水曜日

田園のおはぎ


    お彼岸の中日。ご近所の方が、おはぎをつくってもってきてくださる。ぼくの住む田園はかつては農村で、年中行事や祝い事がある朝は、農家のお嫁さん(おばあさま方)が、手づくりのおはぎ、ぼた餅、草餅、精進揚、お赤飯などを親戚や近所にくばるのだ。布施する、のである。

    とはいえ、農村から急速に田園になるにつれ、農家さんはやむかたなくサラリーマン家庭となり、こうした利他行をできる家庭もすくなくなった。

    このおはぎ、あんこは小豆から自家製。畑で収穫したのを蒸してこし、あんこにするのだ。もちろん、お米も、自分でつくった新米、である。

    お彼岸は、日本では春と秋の二期でおこなう地域が多い。諸説あるものの、よく春のお彼岸は、ぼた餅(牡丹)、秋のお彼岸は、おはぎ(萩)といわれる。双方、薄紫の花の色をあんこで、かたちをお米でたとえているのだ。

    萩の花びらにたとえるなら、おはぎは俵型、なのだけれど、うちの田園では、おはぎもぼた餅もかたちは、丸。ただし、おはぎは、ぼた餅より圧倒的におおきい。かつては、おにぎり大だった。俵にせずに、中の餅米がついてあるか、握ってあるかのちがい。

    そして、大切なのが、おはきが収穫したての新米のお披露目であり、豊作への感謝の気もちをあらわす料理である、ということ。えもいえぬ、芳ばしい新米の香りと食感がじわーっと口中にひろがる。ちなみに、わが田園では、春彼岸は草餅、よもぎ餅もよく食べます。そんなローカルルールこそ、本当の意味での文化かもしれない。

    嫁入りしてから半世紀以上たつお嫁さんたちも、だんだんモダナイズされて、つくるおはぎがちいさくなってきた。いつまでもお元気で、おはぎをつくり、伝えていってください。

    そして、おはぎよ、俵になるな、丸であれ。

2015年9月21日月曜日

ちいさな詩の聖地〜「ヒアシンスハウス」




   いま、ひとの声はどこにあるのか。

   声をきく、耳はどこにあるのか。

   安保法案参院本会議可決の騒擾がまださめない、休日。自転車で浦和市にある別所沼公園にいってみた。歴史ある、沼畔の地形と並木道を活かした、おおきな公園だ。

    そこに、「ヒアシンスハウス・風信子荘」があるのだ。埼玉県の浦和は「鎌倉文士に浦和画家」と呼ばれていた街。埼玉にゆかりのある、夭折の詩人、立原道造は、ここで芸術家コロニーの設立を空想していた。「ヒアシンスハウス」は、そんな詩人が設計したコテージふうの、ちいさなちいさな5坪の家なのだ。水曜日、土日祝日は公開日で、内覧もできる。詳細は、下記、ホームページをご覧ください。


    壁の正面、側面の一部が、ガラスなどの遮蔽物のない出窓になっていて、外の並木道と沼に開放できる。いまでもとてもモダンな住宅だ。なかは、備え付けのデスク、ベッド、トイレがあるだけ。「ヒアシンスハウス」のエンブレムである、そのちいさな星形の花が、家の正面木戸をはじめ、其処此処にほどこしてある。別所沼とはいうけれど、大正時代の写真でみると、並木と水の風景は湖畔にちかい。そんな西洋性も、立原道造の嗜好にあったのだろう。

   ぼくにとって、ここは、さいたまのちいさな詩の聖地。

   沼畔の木陰で、家でつくってきたハムサンドとチーズ、ワインの小瓶で弁当をつかう。それから、たずさえてきた弥生書房『立原道造詩集』をひらくのだ。

    ぼくにとって、東京大学建築科卒業の立原道造は、窓の詩人でもある。暗記するほど読んでいる詩集なので、持参しても、あまり読むことはない。目をとじ、樺の木につかまってまだ鳴いている蝉、カワセミの羽音、ここのところよくきく百舌の高鳴きに、耳をすます。

     すると、いつも浮かんでくるのは、このフレーズ。

    「ひとつの窓はとぢられて
        かすかな寝息が眠ってゐた
        とほい    やさしい唄のやう!」
                                 (「窓下楽」)

    こころのざわめきは、いつのまにか、静かな唄にあやされ、霧散してゆく。

2015年9月19日土曜日

安保法案、彼岸花の記憶




   去年のダイアリーを見て、ああ、やっぱり、とうなずいた。秋雨の時季はなぜか、エッセイをはじめ散文の注文が多く、デスクをはなれられない日がつづくのだ。家からもでられずに、秋の雨と、ブルーインクの文字の雨に、降りこめられる気がしてしまう。

    いわゆる「戦後詩」についての原稿を書いていて、論考は単行本に収録の予定。「戦後詩」について書くことは、畢竟、昭和についても書くことになる。こんなとき、ぼくはノンフィクション作家の保阪正康氏の著書をたよりにしている。『昭和天皇』、『あの戦争は何だったのか』、『昭和史講座』は、くりかえし読んできた。

   「安保法案」が、今日、参院本会議で成立する見込みだ。

    岸信介の亡霊にとりつかれたかの、安倍晋三首相。以前、防衛省に近い新宿区四谷に住んでいたころ、安倍氏の街頭演説をきいたことがあった。ソフトな言葉でかくそうとしていたが、その本質は、明確な歴史修正主義者の演説だった。そうした首相下の内閣・自公与党が、憲法学者が違憲と指摘する安保法案を押し切る。これで終わるはずがない。

    今年、文部科学省が一方的に通達して世間を驚かせた国公立・私立大学の文学部や社会学部の廃止検討も、ここまで右傾化するいまの日本の政官体制だと、つい疑惑をいだいてしまう。

    自由思想、芸術、民主主義社会をになう人材の育成、カウンター・デモクラシーにむすびつく声と集団は、脅威なのだ。

    ぼくは、アメリカとフランスの詩人に、政治家と文科省が人文系学科を廃止しようとしていることを話すと、「日本は先進国で民主主義国家でしょ?」と、目を丸くしていた。

    文学、社会学、諸芸術を大学教育から失う社会。それは、国家と産業のための知的奴隷を生み出す教育としか、ぼくには映らない。

    2015年9月19日。従姉妹の月命日でもある、戦後日本の民主主義が深い危機に陥った今日を、ぼくは、忘れない。法案成立後も、廃案論が終わりになるわけではない。原発もおなじ。

   なにより、70年代以降、屈指の反対運動が全国的におこなわれたのにもかかわらず、民意を聞こうともせず、与党はなんら直接的な対話をしようともしない。この可決への過程こそが、非民主的だ。これも、日米安保改定に際し、安倍晋三の祖父岸信介が「国会外」にきわめて冷淡だった戦法を猿真似しているにすぎない。いいつのれば、今回の安保法案は、当時の日米安保改定の枠組と比較にならないほどおおきな違憲的改憲になっている。

    安倍内閣はじめ、多くの歴史修正主義者がそうであるように、かれらにとって歴史は悲劇でも喜劇でもなく、ファンタジーである。ただし強行可決後も、安倍氏は祖父とちがい、政治的に自決する覇気は毛頭ないのだが。かつての政治家はもっと懐の深さがあった。ついでに、外交においては、もっと粘り強かった。いまは政治家はおらず、みな政治屋になりさがった。

   選挙民としては今後の選挙に向けて、詩人としては、この現在と記憶を詩作や論考に、末永く刻んでゆきたい。

    雨も止んで、じつに久しぶりの、いい秋空。気晴らしに庭にでて、雨後につぎつぎ咲きそろった彼岸花を写真に撮る。そうだ、この彼岸花の色。わが記憶の色彩は、真紅で胸に刻まれるだろう。

2015年9月16日水曜日

詩の郵便箱から〜九月の詩書


    詩集、詩論書、詩誌、お手紙、詩にまつわる郵便物は年間1500点ぐらい。それでも、目をとおします。

    高塚謙太郎さんは、このところつづけて、手づくりの感触ののこる、ペーパーバックの詩集を送ってくださった。

    『花嫁』(Aa企画)が、とくによかった。

    全103頁の、連作長編詩。

 「よりによってより子がよりによった夜/わたしは知らずにより子のひざまくらに/水の音をたて糸によこ糸により/まるで黒いものが空からおりてくる/そのものを迎え入れる長さとなって/とんがっていたのでした」(「春らんまん」より)

    水の流れるごとく、意識の流れのままに、言葉の身体が、やわらかく踊っている。森羅万象と。季節と。

    詩を勉強する言葉から自由になって、高塚謙太郎という詩人の生理がつよくでていると思う。まるで、ダンサーの書くポエジーだ。

    前作の『memories』(Aa企画)は、散文連作詩だった。毎回、ちがう反復を試みているのだろうか。

   いまのところ、高塚さんと、実際の交流はない。ときどき、こうして流れ着く、投壜通信だけ。

   詩の郵便箱を開けて、新しい才能と出会えるのが、うれしい。   

2015年9月14日月曜日

初松茸


   浦和の寿司やさんにゆく。信州産の松茸があったので、焼いてもらった。

   酒は、九頭龍。ぬる燗。

   いい松茸は、食べて嚥下し、さらに口中を酒で洗ったあとでも、香り、さらに旨味が、舌先に響いて、松茸のまま残る。

    余韻とはこのことであって、まさに松茸は、不在の味、なのだ。

2015年9月11日金曜日

震災から四年半




   思わぬ、秋の台風の被害。被害が大きかった地域の方に、この場をかりてお見舞い申し上げます。

    ぼくの暮らす田園も、田畑が水びたしとなったが、さいわい、被害はすくなかったようだ。

    きょうは晴れ間ももどってきて、庭を眺めていたら、シュウメイギク(秋明菊)が根こそぎたおれてしまっていた。たおれた花を束ねて甕になげいれておく。すると、母が半夏生とともに、一輪、活けてくれた。

    東日本大震災の後、ぼくは新聞社の求めで東北を旅した。福島の相馬から飯館村をおとずれたとき、無人の荒野にシュウメイギクが咲いていたのだ。シュウメイギクは、首をたおすように咲く。たおれているのに、えもいえぬ幽玄な風様で、咲くのだ。その姿が、東北の地で、すごく印象的だった。

   そんな思わぬ記憶の発現が、遠地の埼玉で、一瞬にして音ずれる。

    時間も大地も輪廻している。

    きょう、震災から、四年半。

2015年9月10日木曜日

干物の香り


    毎年、静岡から新鮮な魚の干物を送ってくださる方がいる。それも、箱いっぱい。

    今年は、沼津漁港から。秋サンマ、アジの開きがとくにおいしく、干物とは思えないほど、瑞々しい。ゴマサバもちょっと炙って、ぬる燗といただくのが、最高だ。

    「しずおか連詩の会」で、静岡にいってから、もう二年半はたつだろうか。それでも、静岡の方が産地直送の旨味を送ってくださるのが、ありがたい。

    家で原稿を書いた一日の終わり、まずは生のスコッチでつかれた頭とこころをすっきりさせ、おもむろに埼玉の酒「神亀」を燗し、魚焼き器に干物と那須産しいたけをいれる日々。

    焼きあがるまでに大根をおろし、庭から青柚子をとってくる。魚が焼けたら、柚子をスライスし、魚にひとふり搾りかけて、いただきます。

    沼津の潮の香り、晩夏の陽ざしと海風が、鼻と口のなかでふくらむ。埼玉にはない香り。魚を食べるうち、干物は魚の香りを食べるものだと気づく。

    だとすれば、やはり、来年は七輪でも買って、炭火で焼こうかな。

2015年9月7日月曜日

改憲法案反対デモのあとで



    9月6日、新宿では一万人をこえ、さいたま市では大宮など、安倍内閣と自民公明連立与党による集団的自衛権/改憲法案に反対するデモが日本各地でおこなわれていた。そして、その日、ぼくは一篇のエッセイを入稿した。

  『現代詩手帖』7月号に寄せた連作詩「Asian Dream」の一篇を読まれた編集者さんからの注文で、小学館の教育誌『edu』に掲載予定のもの。

    お題は「いま中高生に読ませたい名作文庫」で、ぼくはアメリカの小説家ティム・オブライエンの短編集『本当の戦争の話をしよう』をとりあげた。版元は文春文庫で、村上春樹訳。

    内容は掲載誌をぜひお読みください。でも、ひとこと。

    小説家は戦争の「本当」をあえてフィクションで書いた。ベトナム戦争の最前線で取材したのだから、当時はノンフィクションを書くことも充分にできたはずだ。

    なぜだろう?

    1990年に出版されたこの本をはじめて読んだのは、ぼくがやはり高校生のときだった。エッセイを書きながら、当時の自分がどんなことを感じたか、考えたか、思い出そうと努力した。

    ただひとつだけ、書きながら明確に気づいたのが、いまの高校生との共通点。

    それは、ぼくが高校生だった1991〜93年には現在の改憲法案の端緒ともなった湾岸戦争がはじまり、集団的自衛権と海外派兵の問題が切迫したこと。

    マルクスではないが、なんという歴史の反復。なんという文学の、詩のアイロニー。

    この本はぼくにとっても、長年にわたる宿題だったのだ。

2015年9月5日土曜日

茅ヶ崎の海辺で



    神奈川の茅ヶ崎に、妻が半年限定で仕事部屋をかりる。翻訳家の妻は、カリン・プペ(西村・プペ・カリン)さんの新著『フランス人記者、東京で子育てする』(大和書房)を訳したばかり。プペさんは、フランス滞在マンガで人気の漫画家ジャン・ポール・西さんの奥さんだ。

    茅ヶ崎は、近隣に開高健の記念館があり、映画監督の小津安二郎が脚本を書くために定宿にしていた茅ヶ崎館もある。

    潮風に吹かれ、遠く烏帽子岩を眺めながら海岸を散歩。秋は近いが、暑い。それから妻は暑い海へ。ぼくはクーラーのきいた茅ヶ崎迎賓館で、モヒートを飲みながら、宿題というか、書評のための詩の本を読む。

    国産麦と天然酵母のパンやさん兼おしゃれなカフェ、駅の近くで食べた窯焼きピザはMサイズの値段で、Lサイズ。やすくておいしい店も多そうだ。東京でも噂の寿司やさんもあるし、家系ラーメンの老舗「松壱家」も気になっている。

    鎌倉や三浦で呑んだあと、帰れる秘密基地ができた。いつか茅ヶ崎の海辺で、一篇の詩が生まれるかもしれない。

2015年9月2日水曜日

お茶漬けの味





   フランスからのお客さん、EtienneさんとLucilleさんが、もうすぐ帰国。なので、夜に妻とも落ち合い、呑むことにした。

    エティエンヌとルシルは、朝5時起きで築地市場にゆき、寿司を食べたそうな。じゃあ、ふたりの好きな小津安二郎映画でもよく登場するとんかつはどうかということになり、「すずや」にしよう、となる。残念ながら新宿本店は改装中。かれらのホテルにも近い秋葉原店にゆく。

    写真は名物「とんかつ茶漬け」。小津はもとより、柳宗悦、棟方志功など日本民藝派が通って食べたメニュー。まず、フランス人にとってはお茶漬けが初体験。カルチャーショックを受けていた。そのまえに、いろいろ食べたのだけど、良質の豚肉とフリットに似た揚げ物は、食べやすかったみたいだ。おいしいかったです。

    まだすこし時間に余裕があったので、日本のウィスキーが呑みたいというエティエンヌさんのために、神保町の「グランドライン」へ。なんと、昭和42年に東洋醸造からごく短期間発売された、幻のウィスキーと名高い、日本バーテンダー協会(J.B.A)ブランドのウィスキーが鎮座していた。
    さっそく、もらう。北海道の倉庫に眠っていたボトルだそう。48年の歳月をこえて、なぜかフランスの日本ウィスキー愛好家と呑んでいるのだ。色は濃い蜂蜜色。たぶん、オーク樽フイニッシュ。日本ウィスキーに特徴的だが、口当たりはかなりライトだ。かすかなバター臭。舌のうえでかろやかに揮発してゆくような。それでいて、まろやかな余韻。

    ぼくはさらにバラライカ、オリジナル・ダイキリ。ルシルさんは自家製レーズンバターがいたく気にいる。レーズンバターは意外にも、それこそ日本のバーテンダーが開発した、日本の味なのだ。