一九七〇年代のはじめ、詩人の安東次男氏は『芸術新潮』のもとめで『拾遺亦楽』という連載をしたことがあった。
毎月、五万円の枠内で安東氏がジャンルを問わず骨董を贖い、その一品について文章と写真で紹介するというものだった。
いま『拾遺亦楽』をひもとくと、そこには絵唐津とくり、だの、初期李朝の水滴、だのがならんでいる。当時の五万円。サラリーマンの初任給が約四万円だった時代なので、まあそれ以上ということ。日用のものであれば、たしかに、買えない額ではない。
写真の十四世紀デルフトタイルは、招聘されてはじめていったアムステルダムのアンティーク店で買ったもの。
日本にもときどき仕入れられるデルフトタイルやイギリスタイル。レンブラントの絵画にも登場するが、豪邸の台所や寝室に壁紙がわりにもちいられた装飾タイルで、ブルー・アンド・ホワイトが基本だけれど、多彩色のものもあります。西欧では、雑器で、色数が多いほうが価値があがるかな。勝見充男さんや坂田和實さんの本でもとりあげられているけれど、意匠としては、草絵など、紋章ものが多いですね。
ぼくのデルフトタイルは、貴族か上流商人が縄跳びをしている遊びの情景。白デルフトのなめらかでやわらかい光沢、とろっとかけてある斑な釉調も好きですが、ブルーの釉薬でえがかれた線が、なんとも寂しくて、好感。西欧の美的感覚としてはめずらしく、空白をたっぷりとって、ちょっと東洋的な雰囲気があるというか。
あと、薄いのもいいですね。西欧の古タイルは、大抵が、どっしりとぶ厚いので。チーズやサラミをのせたりと、ふだんのつかい勝手もいいのです。これまでいくつか古デルフトタイルを手にしたけれど、これが一番好きかな。
いまの時季、初秋の光と寂しさを味わいたくて、壁にかけたり、ウィスキーのおつまみを盛ったりしています。
七〇年代の五万円の価値はもとい、いまの五万円でもきついけれど、これから毎月、骨董とは名ばかりのガラクタを、恥をしのんで自己紹介できればと思います。
いつまでつづくか、サイフの中身はだいぶ心許ないけれど。最近は、骨董やや市に、だいぶ足が遠のいてしまっているので、まあ、自分が骨董市に毎月通う口実には、なるかもしれません。
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