正月休み(仕事でしたけれども)明けに、
「現代詩手帖」2013年2月号掲載予定の吉原幸子論を脱稿。
5枚という短さですが、吉原幸子晩年の詩についてふれましたので、
よろしければ、ぜひお読みください。
年末にドン!と届いた全詩集3巻は、総1300ページのボリューム。
30代半ばでデビューして62歳で生涯を閉じた早逝ともいっていい詩人。
詩の仕事としてはかなりの量で、その人気がうかがえます。
各詩集の巻末「NOTE」や「自作の背景」、
國峰照子さんの詳細な「年譜」もついており、
傷の詩人吉原幸子の詩業を見渡すには格好の全詩集になっています。
ぼくはずっと吉原幸子の詩のファンでした。
新宿では吉原さんが仮寓した界隈に、
ぼくも一時期住んでいました。
ゴールデン街やBAR「どん底」に、ぶらっと歩いて行ける距離。
そこらで呑んだときは、亡くなっているとわかっていても、
スツールの紫煙の向こうに吉原さんの面影をついさがしてしまう。
ぼくにとってそんな詩人です。
今回は第1稿をボールペンの手書きで。
昼間からスコッチをグラスに注いで、
銀軸のカランダッシュをはしらせました。
午後から書いて夕方には執筆完了。
全詩「Ⅲ」には朗読CDがついていたので、
吉原幸子の声に耳をかたむけながら呑みました。
「今夜は労働者のように
生のままでウィスキーをあおりたい」
これはもう詩でありブルース。
タバコと酒でほどよくつぶれた、
スモーキーな朗読に聴き入りながら、
田村隆一に匹敵する偉大な詩人に哀悼をささげました。
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