右:中上哲夫さん 左:八木幹夫さん
6/23日曜日
日暮里の谷中ぎんざ
夕焼けだんだん
入り口すぐそばの
古書店「信天翁」さん
(あほうどり、と読む
詩の本のセレクトも
とてもいいですよ)
で開催された
詩人の中上哲夫さん
八木幹夫さんによる
「What was the
BEAT GENERATION」
イベントにでかける。
中上哲夫さんは
もちろん
ビートの紹介者にして
ケルアックや
ギンズバーグの訳者など
いわゆる「路上」派の
代表格として
有名だけれど
八木幹夫さんが
ビートというと
意外な気がしたのだ。
中上さんと八木さん
の出会いは
三十年前に
さかのぼる。
八木さんが
当時相模原市に
住まわれていた
中上さんに
手紙をだし
橋本の喫茶店で
午後三時頃から
えんえん
ノンストップで
日本やアメリカの詩に
ついて語り合った
のだそうだ。
その日は奇しくも
大晦日で
除夜の鐘が鳴りだす
ころまで
コーヒー数杯で
ねばったのだそう。
以来、詩人の
辻征夫さんが
発起人だった
「余白句会」など
三十年におよぶ
詩的交遊がはじまった。
大晦日に
二人の詩人が
地元のローカルな
喫茶店で出逢う。
このエピソード
そのものが
ビートっぽい。
イベントは大盛況。
ビートのイベントとあって
サンフランシスコにある
シティライツ書店の
エコバックを
持った観客が多い。
原成吉先生や
詩人の富沢智さん
昨年刊行され
ビート女性詩人たちも
収録されている
翻訳アンソロジー
『現代アメリカ女性詩集』
(思潮社)の訳編者のひとり
小川聡子さんも来店。
ビートの同時代人によって
語られる詩的証言は
さすがに臨場感があって
ビート入門編から
日本の「路上」派まで
話をきけて
とてもよかった。
黄色のアロハ
バギーパンツに
ワークブーツという
いでたちの中上さんは
昭和三十六年に
那須書房から
限定五百部刊行の
古沢安二郎訳
『咆哮』を持参。
アレン・ギンズバーグの
記念碑的な詩集
「HOWL」の
日本で最初の翻訳であって
いまは「吠える」で
知られている。
「古本屋で当時
百円で買ったんだよ」
と中上さん。
その「HOWL」の
ホイットマン的な
行頭反復にふれつつ
「詩人の仕事で
もっとも難しいのは
自分のスタイルを
確立すること」と
おっしゃっていたのが
印象的だった。
また「ビートは
個々の詩人の
つながりであって
運動体ではなかったん
じゃないかな」
という発言にも納得。
中上さんは新刊
『ジャズ・エイジ』
(花梨社)で
第28回(2013年)
「詩歌文学館賞」を
受賞されたばかり。
今年の三月
ぼくが北上の
日本現代詩歌文学館を
訪れていた折り
学芸員の方から
「いままさに選考中です」と
お話を聞いていたので
なんだか不思議な縁を
感じてしまい
また愛読者としても
受賞のニュースは
とても嬉しかった。
八木幹夫さんは
『ジャズ・エイジ』に
ふれられて
「この詩集は
『HOWL』や
シティライツ社の
ポケット・ポエム・
シリーズを
モデルにしていて
中上さんは
昔からずっと
ワンコインで
買えてどこでも
携行できる
身軽で風通しのいい
詩集をだしたいと
いってたんですね。
髪の毛も・・・
失礼、紙も
だいぶ薄いでしょう。
(店内爆笑)
これがでたとき
中上さん
ついにやったな!
とおもいましたね」
さすがは八木さん
ほんとうに名司会
名トークだった。
最後は八木さんが
中上さんの
『アイオワ冬物語』から
「アイオワの
風に吹かれて」を朗読。
もっとずっと
聴いていたい会でした。
閉会後は店内で懇親会。
ぼくは中上さんと
八木さんから
サインをもらう。
それから近くの
お好み焼き屋
「小奈や」に
場所をうつして
(谷中の名店だそう
うまかったです)
打ち上げ。
そこでも
BEATALKがつづく。
中上さんに
「ビートを最初に
日本に紹介したのは
だれでした?」と
尋ねると
「片桐ユズルさんかなあ。
当時アメリカに住んで
おられたから
『おい、ギンズバーグ
って詩人がすごい』とか
彼のところには
リアルタイムで
情報が入ったんだよ」
つぎは『ジャズ・エイジ』
がらみで
「好きなジャズ
ミュージシャンは?」
と質問すると
「マイルス。
おれは
ペットやホーンが
好きなんだよね。
いまのは
ほとんど聴かないよ」
だそうです。
「信天翁」のみなさん
いい会を開いてくださって
ほんとうに
ありがとうございました!
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