新しい詩集が届く。
和合亮一さんの
『廃炉詩篇』
(思潮社刊)。
新宿の高層ビルの
灰色の谷間にある
公園のベンチに
腰かけて読みはじめたら
止まらなくなって
一気に読了。
すばらしい
詩集だった。
「廃炉」という
いまのぼくらにとって
生の切実な話題であり
政治的なテーマを
あつかう
和合さんの手法は
徹底して
シュルレアリスティック
なのだけれど
超現実であるはずの詩が
これだけ
いま=ここの
リアルと未来にたいする
喚起力をもっているのは
なぜだろうか。
シュルレアリスティックな
手法でも
現実世界に迫り
語ることができる
ことを示し得た
希有な詩的証明だとおもう。
その詩は
「廃炉」という
大きな物語を
ただ沼をならんで泳ぐ鯉を
見て涙してしまう
といった
いまの福島における
存在と生の
ちいさな奇跡からも
物語ろうとしている。
アンドレ・ブルトンは
ロートレアモン伯爵
『マルドロールの歌』中の
「手術台のうえでの
ミシンとこうもり傘との
出会いのように美しい」
という詩句に驚嘆しつつ
超現実の現代性を
「今日では、あらゆるものが
反対のものへと沈殿する」
と説いたけれど
和合さんの詩も
現実を超現実によって
生を死によって
「廃炉」を個の主体によって
記憶を忘却によって
信頼を疑いによって
世界を消滅によって
涙を炎によって
ぼくらのこころの
奥底へと
沈殿させてゆく。
詩という
限りなく遠い
言葉の振幅によって
かえって
ぼくらに
「廃炉」への
至近の言葉を
手にさせようとする。
その視線がきわめて
現代的だとおもうし
言葉の絶対を疑うことから
光をつかもうとする
詩の切実にして
希有な冒険だとおもう。
これから
どんな評価をうけてゆくか
楽しみな新詩集です。
Webで世界に
公開されていた
ウォルト・ホイットマン
『草の葉』初版が
富山英俊さんの訳で
ついに日本語で
楽しめるようになった!
(みすず書房刊)。
鮮やかな萌葱の装幀が
『草の葉』に
なんともマッチしていて
梅雨の鬱陶しさを
吹き飛ばしてくれる。
さすがの編集手腕は
詩人
浜田優さんのもの。
ウル『草の葉』は
その後
連綿とつづく
改訂版と比べると
だいぶ印象がちがう。
でもその原石は
逆説とためらいに
みちていながら
よりつよく率直に
セクシュアリティや
アメリカという
政治共同体にたいする
理想と輝きを
まとっていた気がする。
アメリカの小説家・詩人
レイモンド・カーヴァは
「アメリカ文学の
すべての主語は
ホイットマンの
『ぼく』だ」と
印象的なフレーズを
のこしていたっけ。
自然や女性
他民族のみならず
アメリカという
国家とまで
渾融してしまえる
ホイットマンの
「ぼく」は
大河のような一人称だ。
その「ぼく」の
初源の輝きを
手ざわりできる
フレッシュで
わかりやすい
すばらしい翻訳と
解説・訳注で
若きホイットマンの
言の葉を
これからも
繰り返し
舌のうえで
味わってゆきたい。
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