2016年10月19日水曜日

机辺のモノたち1〜十月の骨董にかえて




    歴程賞を受賞したこともあり、すこし自分の身辺についても書いてゆきたいです。今回は、毎月一回の骨董話もかねて。

   写真では不鮮明かもしれないけれど、ジッポ・ライター大の木彫如来像。ユニークなのは、仏さまが巻貝のなかにはいっていること。

    時々ゆく、仏さまが好きな青山の骨董店の主に尋ねたところ、見たことがない、という。お坊さんたちにもきいたが、首を横にふるばかり。

    あくまで推測だけれど、日本の仏さまではないと思う。よく見ると、肩に突起があって、タイやインドネシアの踊り子の正装にも、そのような肩飾りがあった。
    たぶん、東南アジアあたりの、海辺の仏さまではないかと思っている。
    そして、たぶん、旅の安全を祈願して現地の旅人が携え歩いた、持ち仏、いわゆる旅仏ではないだろうか。それとも、多産と豊穣を象徴する巻貝にはいった、子宝祈願、安産祈願の仏さまだろうか。

    でも、粗く、やや武骨な鑿跡と彫目は東南アジアの仏さまらしくない。日本の仏師の手を思わせる。それでも、表情とお姿は、やわらかくて、やさしい。
    円空さんや日本の仏師の作風、やさしさのなかにあるきびしさのようなものが、あまり感じられないところを見ると、やはり、大乗、異邦の仏さまなのかもしれない。

    いずれにせよ、木の仏さまの肌は信徒の手で撫で摩られ、お顔は磨り減って黒々と光っている。
    
   ぼくが仏さまを骨董屋で贖うことは、まず、ない。それでも、ある晴天の一日。都内で立った骨董市のすみっこでこの仏さまと出逢ったときは、ご縁を感じ、家へお連れしてしまった。

    海のなかを、数多の掌中を、長い時をかけて旅しつづけているかのような、この仏さま。ここ数年はデスクのうえ、原稿用紙のかたわらにいてくださる。

    ぼくは、日々、執筆の無事とご加護をお祈りしている。

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