酒宴を前に
応接間に隣接した
作家・澁澤龍彦の書斎を
見せていただくことになった。
深紅のカーテンをくぐると
作家の「ドラコニア」があった。
昼でも暗い書斎は
書架に四囲され
大きなライティングデスクの周りには
本が積まれていた。
書き物机のうえには
文鎮代わりにしていたという
鎌倉時代の鍔
小学生時代から使っていたという
「シブサハ」と名の書かれた
プラスティックの三角定規。
地球儀にペン、トンボの鉛筆。
学生時代から愛用し
革装がぼろぼろになるまで
使い込まれた
数冊のフランス語辞書。
執筆時に作家の背面となる
椅子の後ろには
繰り返し熟読した
ガリマール社版サド全集など
原書が並んでいた。
ぼくはなんとなく勝手に
澁澤龍彦の書斎には
古典しかないのではないか
と想像していたのだけれど
フーコーやデリダなど
澁澤龍彦晩年に
流行しだした
フランスの哲学者や
文学者の本も
所狭しと収蔵されている。
その並びには
澁澤龍彦訳
ジャン・コクトー著
『大股びらき』の
初版本が静かに
置かれていた。
そして、もちろん
作家が愛玩した
四谷シモン作「少女の人形」
ハンス・ベルメールへの
オマージュともとれる
土井典の通称
「ベルメール人形」の二体も
そのまま安置されている。
「少女の人形」の指は
澁澤家の柴犬がすこし
齧ってしまったという。
書架のところどころには
作家・金井美恵子が
詩人・吉岡実と
澁澤邸を訪れた折りに
プレゼントしたという
オウムの缶バッジや
随筆家・種村季弘が
置き去った招き猫など
文士や芸術家との
交流を偲ばせる
ちいさくて無名の
モノたちが無名のまま
置かれていた。
それらはもう
「オブジェ」となって
いるけれど
澁澤龍彦が身辺に
置いたモノたちは
高級品でもアートでもなく
いかにも
メンコやビー玉で遊ぶ
かつての少年が好んだ
気がねのない懐かしい品々
だったようにおもう。
龍子夫人が
鉛筆削り一個にいたるまで
澁澤龍彦生前のままに
保持しているという書斎。
ときには42時間
ぶっ続けで執筆したという
作家の姿を見守ってきた
本も人形もオブジェも
無言のままひっそり
在りし日の作家の時間と
気配を伝えてくれていた。
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