映像作家・石田尚志さんの
個展「燃える椅子」が
清澄白河駅そば
「Taka Ishii Gallery」で
開催されている。
ぼくはオープニング・
レセプションへ伺った。
http://www.takaishiigallery.com/jp/archives/9272/
尚志さんは
五島記念文化財団美術新人賞
を授与され
カナダのトロントで
映像作品「燃える椅子」を
研修制作された。
当日は
その研修帰国記念の
発表会でもあった。
東京都現代美術館のある
木場に近いギャラリーは
タクシー会社隣の
倉庫5階にある。
一見、そこがアート・
ギャラリーだとは
わからないのが
とても面白い。
レセプションは18時から
だったから
まず腹ごしらえにと
一見の寿司屋にふらり。
大正時代から清澄で
やっているという
寿司屋の大将は
「ここら辺は
泥鰌屋や
割烹が多くてさ。
木場の旦那集のお陰で
町が潤ったもんよ」。
アートを育てる
パトロンが多いのも
木場の土地柄だろうか。
ギャラリー入口で
石田尚志さんに挨拶。
尚志さんは
ぼくのH氏賞授賞式にも
来てくださったが
今回は奥様にも
ご挨拶することができた。
上映スペースで
「燃える椅子」を観る。
つづいて
尚志さんのトークが
あった。
すべてコマ撮りで
撮影された
アニメーション作品は
トロントのスタジオの
壁面に
水とチョークだけで
制作された。
映像や映画は
世界と物質の
「影」像を映す
行為であり
影とはすなわち
作品の寓話や寓意
でもある。
水とチョークで
描かれる
尚志さんの作品は
その「影」を
消失に導く。
すなわちそれは
椅子を「燃やす」
ことなのだという。
そんな制作解説の
傍らで、
尚志さんは
カナダのピアニスト
グレン・グールドと
文明批評家の
マーシャル・
マクルーハンを
引き合いにだしつつ
アニメーションと
メディアの関係性
についても
語られた。
20年近く尚志さんを
知っているけれど
彼から「メディア」
というワードが
飛び出たのに
少々、驚く。
会場には
「燃える椅子」の他に
詩人の吉増剛造さんに
インスパイアされた
新作「十四枚の原稿」と
「二十枚の原稿」も展示。
伊東屋の原稿用紙に
スポイト・ドリップで
描かれた水彩は
言葉の手前で
佇む〝筆跡〟
純粋な形象という
言葉以前の言葉を
予感させ
幻視させてもくれる。
詩とアートが
コラボする展示は
近年、多いけれど
ぼくは個人的に
詩とアートの距離は
以前より開きつつある
気がする。
もっと
本質的な意味で
アートが詩を照らし
詩がアートを
照らすような
内奥からの対話が
必要ではないか。
尚志さんの作品は
そんなことも
考えさせてくれる。
深く、充実した
展示だった。
詩人の森川雅美さん
渡辺めぐみさん
詩人・歌人で批評家の
生野毅さんも
作品に見入っていた。
出口でぼくは
刊行されたばかりの
尚志さんの作品集に
サインしてもらう。
紙に触れて軋み
震えるような
署名は、以前と
まったく変わらない。
0 件のコメント:
コメントを投稿