梅雨の酒器は、悩ましい。まだ夏の気分ではないので、本来は硝子徳利はつかいたくないのだけど、この季節、土の徳利は黴やすい。また夏用の盃もつかえないので、困るのだ。
写真の初期李朝粉引盃は、以前、韓国のソウル大学に招かれたとき、踏十里でもとめたもの。発掘伝世品でふちに疵、裏底にややにゅうがあるが、ほぼ完器。第一詩集の『片鱗篇』が日韓現代詩アンソロジーに抄訳掲載され、刊行記念行事に招かれたのだった。十年近く前になる。
おおらかなひき方で、珍しい粉引だと思う。移行期の器で、やや厚手だが指にぴったりなじんでちょうどいい重み。酒を呑むのに安心感がある。口あたりもやわらかい。長年、酒を注いでいたら、うすい刷毛目のしたからとろりとした土味がでてきた。難点をいえば、あう徳利が見つからないこと。ゆえに、硝子徳利とあわせて、梅雨の盃にしているのだ。
都内の寿司やで李朝をあつかう骨董屋の主人と呑む機会があり、この盃を持参したら、「ゆずる気があるなら」と買値を教えてくれた。だいぶ出世していた。主人にはこの盃にあわせる徳利の算段でもあるのかもしれない。
気負いなく買った盃だけど、酒器が欠乏する梅雨の遊び友だち、こんなに長いつきあいになるとは思わなかった。そんな意外性も、骨董のひとつの愉しみだと思う。
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