個展を準備中の
赤阪友昭さん
詩人・比較文学者
管啓次郎さん
トークに先立つ8/27の夜。muziKafeで、写真家の赤阪友昭個展「Distance」のオープニング・イベントが開催。写真家やスロヴェニアのテレビ局の取材をはじめ、多くの人が訪れた。
Distance(ディスタンス)、「距離」。それは、写真内部の被写体や東北を語るとともに、人が退去した被災地に戻ってきたnatureを語る写真=言語である。今回の展示作品はすべてモノクロ。静謐な写真には人間も動物もほとんど登場しない。植物やテトラポット、あるいは無数の白鳥の足跡や熊が樺に残していった爪痕など、鳥類や獣が訪れたと思しき痕跡が写されている。
友さん(と、ぼくは彼を呼ぶ)が写しているのは、人と文明が移動した事後の時間、野生が回帰を開始した瞬間の、場所のもつ根っ子のような何かだ。
それは美しく静かだけれど、同時に極端にシンプルで、人間にとって残酷なnatureの姿でもある。
オープニング・パーティー前には、「見えない波」を代表して詩人・比較文学者の管啓次郎さんと友さんがスピーチ。管さんは、今年3月の、小説家の古川日出男さん、そしてぼくも行動を共にした「見えない波」ヨーロッパ・ツアーについても紹介した。
オープニング、そして翌日のトーク後も、震災や東北、原発についてたくさんの質問やコメントをいただいた。
「Distance」は、不可逆的な間や差異だけを意味しているのではない。同時にそれは届くための間隙、間合い、開かれでもあり、新たな運動や交通のための出発点だろう。
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