入力作業の関係でフォーマットをしばらく変更いたします。それと、フランス行きの前で〆切祭がつづいてしまい、更新が遅れてしまったこと、お詫びいたします。今日から更新を再開しますので、またぜひおつきあいください。
さて、8/29にいよいよ「見えない波」番外編のトーク・イベント開催。ヨーロッパで、「英語が話せて当たり前」の環境のなか、生まれて初めて、通訳なしで、英語でトークをおこなった。こう書くと、いかにも英語が堪能に聞こえるかもしれないけれど、ぜんぜんです。司会のスロヴェニアの詩人・小説家アレッシュ(写真:左)と、海外での学会に多数参加している、管啓次郎さん(写真:中央)に助けてもらった。
会場はプトゥイでよく文化的なイベントが行われるmuziKafe(ムジカフェ)。
同会場で開催されている写真家の赤阪友昭さんの展示「Distance」とのコラボレーション・イベント。「Distance」は、いま赤阪さんが中心になっている東北プロジェクトの一環。福島で撮影された写真がメインになっている(その様子は、明日更新予定のブログでご覧ください)。
このイベントは、ぼくのお願いでアレッシュが実現してくれた。プログラムではぼく個人の朗読会のはずだったが、この機会と時間を、震災以後の東北とクリエイティブをめぐる開かれた国際的な議論にしたかったのだ。トークのタイトルは「Novi svet」(New World)。
まず、スロヴェニアでは約40年ぶりとなる日本現代詩人アンソロジー、Beletrinaから出版されたばかりのNovi svetに沿って、ぼくが1970~2010年代までの日本の詩的状況をかいつまんで説明。管啓次郎さんの緻密にして説得力のあるコメントに支えられつつ、日本の詩のいまを観客に知ってもらった。
後半は、震災と芸術、創造力をめぐる議論。アレッシュは震災時、いち早く来日し、東北でクリエイティブ・ライティングのプロジェクトをした。会場に設置されている赤坂さんの写真を見ながら、東北の現状について話す。
ぼくらの議論の中心になったのは、東北の復興とはなにか、というテーマ。国民からはあまり見えない場所で復興作業は進められている。もちろんライフラインの確保や復旧作業は大事だし、なにより被災地の住民のみなさんが安心して再び暮らすための懸命な作業がつづいている。
でも、一方で、復興には被災地との精神的なつながりや復興ヴィジョンがもっと必要なのではないか。震災から三年が経ち、芸術ジャンルでも記憶の風化がはじまっている。しかし、震災や危険区域をふくめた被災地を、ネガティブにとらえるばかりではなく、芸術ジャンルやクリエイティビティにとって、よりポジティブにとらえることはできないか。むしろ、これらの新たな発生をうながす源泉として。そのことが、震災や被災地との精神的な、思想的なつながりを強め、東北だけでなくもっと大きな渦になって世界を巻き込めないだろうか。
あまりに、遠大。そうかもしれない。でも、ぼく自身は必要性を感じている。何年かかっても。むしろ遠大なことを考えることが、なにか本質的なものに届く気さえしている。
トークの掉尾。赤阪さんはスピーチとともに、「人間のいなくなった危険汚染区域には震災前は絶滅危機種だった植物や、野生動物たちが戻って来ている。そこを原生林として保存するのはどうか」という提案をした。
なるほど、赤阪さんの写真はそういうことを伝えようとしている。そんなことは、「国家」が許さないかもしれない。でも、もし人が戻れなくなっている東北の森林が、ぼくらにとって沖縄のウタチのような神聖な森、聖所となることができたら。ぼくは、その場所を「HOPE」と名づけてもいいのではないかと、語った。
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