2013年7月31日水曜日

福島で呑む 店 3




福島最終日の夜。
さすがに
寿司(一日目)
焼肉ときたので
「福島といえば
ラーメンと餃子」と
話が合った。
円盤餃子「山女」は
何度も入って
いるので駅近の
「勝二郎」という
新しい店を試してみる。

餃子一人前五個
なんと百円。
ふたりで六人前を頼む。
「もろきゅう」三百円。
シンプルな野菜餃子で
皮もやわらかい。
なんの気兼ねなく
がつがつ食べられるのも
餃子の旨さのひとつ。
三十代半ばの
記者さんは
学生時代に
戻ったかのように
ライスもつけている。
たしかに
福島に来た
学生さんなんかには
おすすめかも。

福島に来ると
行きたくなるのが
「狸小路」。
〆に
「支那そば ぽっぽ」で
米沢風の
支那そばを食べるのが
楽しみなのだ。

ところが
午後九時開店
というのを
失念していた。
帰りの新幹線に
間に合わない。
あれだけビールを吞み
餃子もライスも
おかわりしていた
記者さんは
さも残念そうにしている。
駅前店ならと思い
行ってみたけれど
やはり閉まっていた。

残念、でも
また来るぞ福島!

(Thank you very much for
Mr. T. Ueda.) 

2013年7月29日月曜日

福島で呑む店 2




牛豚鶏肉三種盛り


福島牛


伊達鶏



エゴマ豚
福島二日目の夜
記者さんに連れられて
同じく栄町にできた
ケルティックバー
「ザ・ロック・オブ・
キャシェル」へ。
震災後に
昭和三十年代に
建てられた歴史的
建築をそのまま活かし
内装を全面的に
改築したバーは
とても雰囲気がある。
マスターの意向で
ビールはギネスのみ。
レア・モルトも多く
本格的なケルトバーでした。
『まどろみの島』を
読んでくれていた
記者さんは
ここで一緒に
呑みたかったのだとか。

次は陣馬町の
「ホルモン市場」へ。
とりあえず
牛・豚・鶏の
「三種盛り合わせ」を
頼んだら
もうそれだけで
お腹いっぱい。
A5ランク牛の
ミニステーキや
地産シャモが
ついて1,280円は
さいたまでも
ありえない。
「やっぱり
風評被害の
影響ですか?」
と店長さんにきくと
「ちょっと
安めにはして
ありますけれど
普段から
このくらいですよ」
良いところだぞ
福島!

このブログを
書いていたら
隣で妻が
覗いていて
脇腹を
つねられました。

2013年7月28日日曜日

福島で呑む店




レーベンブロイの生


福島名産「エゴマフランク」


ちょうどいま
相馬野馬追の
開催されている
福島。

いつも立ち寄って
しまうのが
JR福島駅から
歩いて十分
栄町にあるビアバー
「ローゼンケラー」
一九五三年からある
老舗だ。

ぼくはいつも
レーベンブロイの生と
県内産「エゴマ豚」
(シソ科のエゴマを
餌に混ぜて育てる)
でつくる
「エゴマフランク」を頼む。
十数年間、毎回、同じ。

脂に独特の甘やかな
旨味があって
ジューシーな豚肉は
エゴマのおかげか
花のような香りがする。
ピルスナーや
ヴァイツェンに
これがまた
良くあうのだ。

九分茹でて
軽くローストするのが
おいしく食べるコツ。
都内でも
これだけビールにあう
ソーセージは
なかなか
お目にかかれない。

ローゼンケラーには
いつも和服姿の
女将さんがいて
再会を喜んだ。
今年五月の末
栄町商店街の
皆さんは
手ずから街の
除染作業を行った。
「福島は放射能さえ
なければねえ」
女将さんは
そう語った。

福島で過ごす夜。
ローゼンケラーの
年季の入った
カウンターに座り
冷えたビールを
ごくごくと喉に
流し込んで
エゴマフランクを
頬張ることが
できないとすると
かなり
淋しい思いをする
ことになる。

2013年7月25日木曜日

福島再訪


阿武隈川



南相馬市役所近く 原町 本町通 
今週末からはじまる
相馬野馬追の準備が進んでいた



津波に飲まれた
南相馬市 上渋佐地区のいま
海岸から約八㎞の地点
新聞社の仕事で
福島を取材。

山形では豪雨
福島は快晴
時間があったので
水嵩の増えた
阿武隈川沿いを散策。

記者さんの車で
除染作業のつづく
飯館村から
今週末が野馬追の南相馬
そして
ほとんどの家屋が
倒壊し、いまも
警戒区域になっている
小高地区へ。
あらかじめ約束の
とれていた地元の方々に
震災から今日までを
振り返っていただき
お話を聞いた。

昨年の
取材でお話を聞いた
方々とも再会を果たし
とても嬉しかった。
復興の道のりは
まだあるものの
去年に比べても
相馬などは
活気を取り戻しつつ
あると思う。

岑越の山々に囲まれ
海に河湖
温泉も多く
自然に恵まれた
福島の豊かさと美しさは
本質的には
いまも変わらない。
福島の人たちは
大らかでやさしく
気骨がある。
十代から何度も
遊びや出張で
来ているけれど
独りで呑んでいると
一見、無骨そうな人が
気さくに話しかけてくれ
会津人のユーモアで
こちらの心をほぐし
ときに煙に巻く。
酒も肴も華美ではなく
質が高くて
美味しいものが多い。

大好きな土地だし
埼玉に暮らす者として
近くに感じる場所だ。
だからこそ
起こってしまったことは
痛ましいし
原発については
まったく身近な問題として
福島の声に耳をかたむけ
自分事として
考えていかねばならない。

2013年7月23日火曜日

カンゾウの花



見沼代用水の川縁に
ことしも
カンゾウの花が咲いた。

むかしは
見沼の夏の風物詩として
当たり前に楽しめた
らしいけれど
一時期
ほとんど絶えてしまった
稀少な野花。

いまは見沼の
「カンゾウを育てる会」や
近隣の方々のおかげで
こうして
鑑賞することができる。

人間が守らないと
いけない
自然と
ふるさとがある。

これから、福島へ。

2013年7月21日日曜日

ケジャンの夏




ケジャン様


左:装幀家 奥定泰之さん
右:「現代詩手帖」高木総編集長


生サムギョプサル
7/19のこと。
神楽坂で打ち合わせと
暑気払いを兼ね
高木さん、奥定さんと
一献いきました。

日の名残のある
18時に
イングリッシュパブの
ロイヤル・スコッツマンで
IPAビールと
スコッチハギス。
高木さんは
書籍と詩手帖の〆切で
少々お疲れのご様子。
ライトに三人で
打ち合わせのあとは
鰻のたつみやか
伊勢藤へ
とおもったが
たつみやは鰻の
仕入れ価格の高騰で休店。
また今年もでは
いくらなんでも
良心的な個人店はかわいそうだ。
政府もなんとかしてほしい。

なので
神楽坂入口近くの
韓国家庭料理店「味韓」へ。
夏といえば
生のワタリガニを
キムチだれに漬け込んだ
ケジャンで
キンキンに冷えたビール!
そしてここの名物
生サムギョプサルで
三人はマッコリのやかんを
次々おかわりした。

ぼくは以前
新宿の若松河田に
住んでいたことがあって
そこから
新大久保コリアンタウン
までは歩いてすぐだった。
盛夏の昼にランチでもと
残念ながら閉店してしまった
老舗「韓国食堂」へゆき
あくまでランチの
つもりが
やはりどうしても
ケジャンが食べたくなり
するとどうしても
辛〜いケジャンにあう
冷え冷えのビールが
ほしくなり
当時はまだ
空きビール瓶に入った
自家製ドブロクの
生マッコリまであって
結局、夕方まで呑んで
帰るというのが
夏の風物詩だった。
ケジャンは本場の
韓国家庭料理だから
東京でも昔からの良店
名店が閉店したりして

食べられる店も
少なくなってきている。
さいたまでも
食べたいのだけれど
川口コリアンタウンなら
食べられるかしら。

高木さん、奥定さんも
「うまい!」と
いってくれたけれど
なんだか、ぼくは
ちょっと切ない。

電子レンジみたいな
コンクリートジャングルの
熱気を切り裂いた赤い夕陽。
窓ガラスの向こうの
新宿の喧噪をききながら
夕陽より赤いケジャンで
流し込むビール。
オモニの韓国語。
そんな思い出の孤児が
心の奥底に
ふらりと立ち寄って。

鎌倉の夜



石田:海にむかって朗読中、
ではありません


城戸朱理さん:朗読中、ではなく
メニューを読んでいる


Montaさんと柳美里さん
7/16に妻と一色海岸へ
海で遊んだあと
鎌倉のバー
クルベルキャン。

城戸朱理さん
マッドバンビさんに
H氏賞での
スピーチやなにやらの
お礼をいいに
うかがったのだけれど

なんと
ニューヨークからの
飛び入りで
Montaさん
そして
作家の柳美里さんと
珍念さん、丈ちゃんが
同席してくださった。

Montaさんは
バンビさんのお友達。
ニューヨークで
ご家族と
レストランを経営
されているそう。
夏以降に
ニューヨークに
行かれる
城戸朱理さんに
NY事情を
細やかに説明
されていた。
ジャニーズに
はまっているという
Montaさんのフリで
「アイドルとか
タレントは
だれが好き?」
という話題に。
ぼくはテレビを
あまり見ないけれど
妻は檀蜜さんと
蝶々さんが好きで
イベントにいったり
ブログを読んだりしている。
今年のぼくの
誕生日プレゼントに
檀蜜さんの
写真集をくれようと
したぐらいです。

柳美里さんとは
初めてお会いした。
とても
心くばりが細やかで
やさしくて
聞き上手な方だった。
初対面同士が
多かった席で
上手に話の水を向けて
くださる。
いっしょにいると
なんだか安心してしまう
つつみこむような
雰囲気をもつ方。

翌朝は仕事
だったので
21時にはお暇した。
あまりに楽しくて
もっとみなさんと
呑んでいたかった
のだけれど。
別れ際
城戸夫妻から
素敵なプレゼントまで
いただいてしまった。
お礼にうかがったのに
なんだかまた
励まされて帰ってきた。

それにしても
あの夜は
夢の出来事のようで
帰宅して数日後も
妙に懐かしく
切ない気分でいます。

不思議な一夜。

2013年7月13日土曜日

母校でのポエトリートーク


7/11に母校の
獨協大学で
ポエトリートーク。

十年ぶりに
訪れた母校は
ホワイト&スクエアの
ビルディングから
グラス&ウッドの
ドイツモダン建築に
リニューアル。

エントランスに
辿り着くと
B全ポスターと
電光掲示板が
あって
「詩人」
「石田瑞穂」
「本日講演」と
流れていたのには
恐れ入りました。

原成吉先生の
研究室に立寄り
ドイツ国会議事堂を
手がけた
建築会社設計の
新図書館でトーク。
気鋭のノマド文学者
高橋雄一郎先生
エズラ・パウンド研究の
遠藤朋之先生や
国見晃子先生
昨年、すばらしい
『現代アメリカ
女性詩人詩集』を
編訳された
小川聡子先生
詩人で児童文学作家・
研究の
山田玲子先生も
おられドキドキ。

海外詩から
田村隆一
辻征夫の詩
そして
『まどろみの島』へ
九十分の
言葉の旅(漂泊?)を
なんとか終え
原ゼミのゼミ生さん
聴講者の方々と
近くの居酒屋へ。
五時半から
夜の十一時近くまで
おかげさまで
学生生活や
詩の話で
とっても楽しく
盛り上がった。

十数年前は
ぼくも原ゼミの
一員だった。
ゼミのあと
(嫌がる?)
オハラッチや
ナンジョー
男子や
女子の面々と
毎週行った
居酒屋は
もうなかった。
そこは
各都道府県の
地酒をおいていて
ぼくらは
地酒日本一周に
チャレンジしたっけ。

そして同じ頃
ぼくは
獨協大学に講演に
来られた詩人
城戸朱理さんと
初めて
お会いしたのだ。

いまの
ゼミ生さんたちは
だいぶ
優秀そうだけれど
元気で
きらきらしていて
たくさん呑んで
話しまくる。
そういうところは
かわらないなあ。
田村さん
辻さんを偲んで
ジムビームで乾杯。
翌朝は仕事の
中年詩人は
深酒をせず
先生方と電車に
のったけれど
原ゼミの
みんなは
朝までコース
だっただろうね。

先生方
原ゼミ生の
みなさん
素敵な花束まで
くださって
ほんとうに
ありがとう
ございました。
夏は長期で
出張ですが
秋にまた
遊びに行きます。

再来週は取材で
福島へ。
こっちは
あっというまに
油蝉が
鳴きはじめたけれど
そちらは
どうでしょうか。

2013年7月10日水曜日

パリのチベットレストラン




パンテオン近く


バター茶


羊のパオズ



ライスプディング

パリのお気に入りの
チベット料理レストラン
Pema Thangで
飲茶をする。

オランダに三十五年つづく
本店があって
パリ店は今年で二十二年目。
女性のオーナー
フブさんは妻と
ぼくの友人でもある。

フブさんのだんなさんが
シェフ。
ご主人はもともと
僧侶だったが
チベットの仏教界に
なじめずに
ヨーロッパにわたった。
店内には
ダライ・ラマの
肖像画も
かかっていて
「Free Tibet!」
とあった。

コクのある
バター茶と
山羊乳でつくる
チーズみたいに
濃厚な自家製
ヨーグルトを
かけた
ライスプディングで
旅のつかれを
ほっこりいやす。

パンテオンは
パリの大人が
ナイトライフを
楽しむ区画。
店内は静かで広い。
チベットの
アンビエント
ミュージックなんかが
かかっていて
雰囲気、味ともに
洗練されています。
アジア的な
がやがやさが
まったくないんです。

帰国日に
ランチにも
いったのだけれど
フブさんが
写真にある
木工の茶碗を
一セットくれた。

ここの羊のパオズは
絶品。
他にトマトと人参
米をつかった
野菜のポタージュ
なんかも美味。

ルーブル美術館通り
には日本人街
もあるし最近
パリジャンたちには
ラーメンも人気。

ヨーロッパで
アジアの味が
なつかしくなったら
ぜひ。

13 Rue de la Montagne 
Sainte-Geneviève, 75005 Paris






2013年7月1日月曜日

獨協大学で講演


明日は半夏生。
うちで咲いた
花のほうは
終ってしまいました。

写真の
蝸牛くんは
ブログを
読んでくれている
木工作家からの
梅雨の
プレゼント。

7月11日(木)に
獨協大学で
講演をします。

15:00〜
16:30
場所は
A-506室です。

母校で
お話できるのは
たいへん
光栄です。

お時間と
ご興味のある方は
ぜひ。