2016年6月29日水曜日

ふたたび京都



    今年にはいって、京都は五回目。仕事、ですけれど。

    ホテルは、詩人の城戸朱理さんに教えていただいた、糸屋に泊まる。

     出張はバタバタで、夕餉も、同行のクライアントさんとともに閉店間際のニ教にかけこみ、ワインとステーキをかきこんだ。
    梅雨日の、蒸し暑かった京都で、冷製のポテトスープ、しみる。ぼくだけ、帰りの新幹線で食す、ビフカツサンドを、お持たせしてもらう。

     翌朝。クライアントさんは早朝から大阪へ。ぼくは帰るだけだから、糸屋の朝食をゆっくりいただいた。

     こちらの朝食は、京都の味噌汁がメインといっても過言ではない。自宅では再現できないおだし。春からくらべ、白味噌から、赤だしにあわせてある気がする。山椒のきいたポタージュのような京味噌とお豆腐が、二日酔いと胃もたれをじんわり、やわらげてくれ、焼き魚までパクパクいただいた。

    帰りの車中で、ひとり、ウィスキーの水割り三缶と、ビフカツサンド。

    東京駅についたら、梅雨とはいえ、大気が関西よりも乾いて、ひんやりしていた。五山から降る、あの生暖かい霧雨が京都に夏をはこんでくるのだろう。

    そういえば、もう、七月。

2016年6月28日火曜日

浅草橋の一夜



左から、写真家の武田陽介さん、空蓮房主催の谷口昌良さん、装幀家の奥定泰之さん。


    これから、京都へ。

    先週、浅草橋駅ちかくの蕎麦屋さんで、アートスペース「空蓮房」を主催される谷口昌良さん、『耳の笹舟』でお世話になった装幀家の奥定泰之さん、そして新鋭写真家、武田陽介さんと呑む。

    ぼくと武田さんの顔合わせが目的で、谷口さんと奥定さんが会食をセッティングしてくださったのだ。

    写真と詩の言葉からはじまり、おたがいの興味関心や業界?話まで、愉快に時間がすぎてゆく。写真と詩のコラボは、いまや特異ではないけれど、身近なようで、やはり他者の世界なのだなと思う。

    武田さんから、奥定さんが装幀した作品集『STAY GOLD』をいただく。
    以前、この一連の作品をベースに、武田さんは空蓮房で個展をされた。作品の隣に、ロバート・ブラウニングの詩が掲出されていて、数年たったいまでも印象にのこる展示だった。武田さんはドイツ詩人、パウル・ツェランも好きだという。
    武田さんの作品には、日々のメディア革新により、かつてのように写真がそれ自体で同一性を確保できないことの困難もあらわれている。
    築地の魚と蕎麦でうまい酒を呑みつつ、写真と詩の境界を考えた一席でもあった。
     
    蕎麦屋さんは柳橋にあったのだけれど、神田川が隅田川にそそぐこの界隈は、時代小説にもたびたび登場する。ぼくも平岩弓枝や藤井邦夫の弥平次捕物噺シリーズで、親しみを感じていた。
    谷口さんによれば、町の衆が色っぽい舟遊びをしたり、吉原にくりだす、あるいは柳橋の茶屋で遊ぶまえに寄る料理屋がおおかったそうな。谷口さんの幼少のころも、その名残はあったという。

    京都にむかう新幹線のなかで、浅草の楽しく風流な一夜を思いだしていた。

    谷口さん、奥定さん、武田さん、ありがとうございました。こんどは、どぜうで呑みませう!

2016年6月24日金曜日

梅雨の食物


    今週は詩の〆切が二本に各種原稿、東洋大学大学院の講義、今秋からはじまる獨協大学での新プロジェクトの会議、レギュラーのフェリス女学院大学の講義など、バタバタしてしまっている。本ブログの更新も、すっかりとどこおってしまった。
    嗚呼、海をぼーっと眺めながら、キリッと冷えたシャブリが呑みたい。

    そんな梅雨のある日、妻が「梅餃子」をつくってくれた。

    梅餃子。結婚して、はじめて食べた食物。仕事でアジア各国にもよくいく妻のお母さんが得意としている水餃子で、実家ではとりあいになるらしい。
    餡は肉をすくなめにし、たたいた梅と大葉をおおめにいれる。水餃子に火がとおったら、さっと水洗いしてぬめりをとり、皿にしきつめた氷のうえにのせ、冷え冷えにして、完成。皮の包み方は、薔薇の蕾のように。

    もとい、餃子と大葉はとてもあう。さらに梅の酸味と香がくわわると、いささか野鄙な餃子という食物が、繊細な味わいになる。個人的には、タレをつけずに食すのがいい。

    梅雨の暑さと湿気をはらい、殺菌作用もあって、お腹にいい梅餃子。見た目も涼し気で、ぼくにとってなくてはならない梅雨の食物になった。

    ビールは、できれば、瓶にして、井戸水で冷やす。
    肉餃子の旨味と、梅のすっぱさ、大葉のさわやかな香があわさって、なんともいえない。ビールとは相性最高だけれど、日本酒にもあいます。

   気軽につくれて、ちょっと、おしゃれな家庭料理。今週末、ぜひ、おためしあれ。

2016年6月20日月曜日

種子島の時間6〜豊満神社





    本ブログを読んで、夏休みに種子島へゆきたいという方がいらしたので、このお話、すこしつづけます。

    五月にぼくと妻がおとずれた、種子島の茎永。そこに古くから信仰されている「豊満神社」がある。
    町の無形文化財。玉依姫命をお祀りする神社だ。由来や神事について解説するウェブサイトもあるようなので、下記、リンクしておきます。


    いちばんうえの写真は、二の鳥居。テリバサカキやソテツなど、南の樹々の鬱蒼とした原生林に、そのまま参道が通じていてる。関東の寺社ともちがう、野趣あふれる、なんとも神さびた雰囲気。
    陽射しのつよい昼間でも、南の植物におおわれた参道は小暗くて、どこかすずしい。樹々の濃い香りがたちこめたなかを歩いていると、生命がみなぎってくるようでした。

     一の鳥居の手前で、苔生した石像を見つける。南九州でいう、ガラッパ、つまり河童像らしい。茎永は河童や龍神伝説も豊富なのだそうな。手をあわせ、ペットボトルの水をすこしかけてさしあげた。

     いよいよ、本殿。妻はここでおみくじを引く。大吉。年始の武蔵一宮氷川神社、春の京都撮影から、あまりくじ運に恵まれなかったらしい。日本の南端まできて幸運をひきあてたのだから、うれしそうだった。無数の蚊にめげず、ぼくも旅の無事を祈願。

    参道には、ウグイスのさかんな鳴き声。見たことも、聴いたこともないような、野鳥の歌も。
    行手に、蝶がたくさん舞っている。ぼくらを導いてくれるように。そういえば、南種子の漁港をおとずれたとき、大漁旗や凧に、蝶の意匠がおおかった。ツマベニチョウだそうで、地元では、よき波をはこぶ精霊なのだとか。

     音ずれた方に、いい波がきたらんことを。

2016年6月17日金曜日

フェリスの呑み会


    もう、先週のことになってしまったのだけれど。
    小林多喜二などの日本文学研究で著名なフェリス女学院大学教授、島村輝先生に呑み会のお誘いをうけた。
   さらに、アメリカの詩人で、吉岡実、和合亮一さんなど、日本の現代詩の英訳者としても活躍されているエリック・セランド(Eric Selland)さんも合流するとか。

    横浜のとあるカーヴ風イタリア居酒屋を訪ねると、島村先生が先にこられている。かけつけ一杯のビール、すると、スーツ姿のエリックさんもあらわれた。ワイン好きのエリックさんが登場したので、つぎつぎボトルがはこばれ、肴さえろくに注文せず、ぼくらはグラスをあげつづけて。

    エリックさんとは、三年ぶりに再会。日本語がほんとうに堪能で、こちらはまったく英語を話さない。
    唱歌「故郷」が老子につながる島村先生の話からはじまり、源氏物語、谷崎潤一郎、チャールズ・オルソンに、ランゲージ派、カリフォルニアを中心とする近年のアメリカ詩の動向など、とくにエリックさんは紫煙を吹きあげながらサブマシンガンのごとく日本語も吐きだす。ぼくも、いつのまにかノートをとっていた。マンツーマンの講義のようだ。
     いま、エリックさんの詩友でもある、Steven Seidenberg氏が来日している。写真展と朗読会を開催されるとのことだ。下記、リンクしておきます。


     それにしても、

     これは、呑み会、だった、はず。

     途中、島村ゼミの学生さんたちが合流。講義や研究テーマについて、またフェリス女学院大学について、話がはずんだ。店内が暗くて、写真がイマイチ。

     とっても楽しい夜だった。けれど、フェリスの呑み会だったのに、気がつけば、レンブラントの絵画のごとき光に茫洋とうかぶ、アメリカ詩人の顔ばかり、思いだしてしまう。

2016年6月14日火曜日

日本の詩祭2016


   6月12日の日曜日。飯田橋のホテル・メトロポリタンにおいて、「日本の詩祭2016」が開催。ぼくも、お手伝いによばれた。

    第六十五回のH氏賞受賞詩集は、森本光徳さんの『零余子回報』。

    第三十三回現代詩人詳細は、昨年、『晩鐘』を上梓された、尾花仙朔さん。

    先達詩人に顕揚されたのは、田中清光さん、田村のり子さん。

    おめでとうございました!

    今年は、鮎川信夫没後三十年にあたる。いみじくも、いま、神奈川近代文学館では「『荒地』展」が開催中だ。
    そんな年に、『荒地』に所属していた尾花氏が現代詩人賞を受賞し、信州の山と自然に根をおろす類稀な抒情詩人でありながら、瀧口修造から示唆をうけたデカルコマニーをいまも試行し、手ばなさずにいる田中氏、小泉八雲研究者として、環境保護運動など行動の詩人としても知られる島根の田村氏が顕揚されたことは、個人的に感慨深い。
    とくに、田中氏からは、散会後にサインをいただきたかったのだか。

    贈呈式が終わると、新倉俊一先生の特別講演「詩人    西脇順三郎とエズラ・パウンド」。西脇と直にふれあい、学んだ新倉先生ならではのエピソードは、いつ拝聴してもおもしろい。
    また、初期の西脇はエリオットよりパウンドの影響をうけていたというお話も非常に興味深かった。

    最近、旺盛に詩集を刊行されている新倉先生だが、会場には、上梓されたばかりの新詩集『転生』(トリトン社)が平積みされていた。
    一冊、贖い、講演直後の新倉先生のもとにかけつけ、サインをいただく。俊敏な森山恵さんが、すでにサインをもらっていた。

    今年も、楽しく、盛大な詩祭だった。実行委員長の黒岩隆さんはじめ、委員のみなさま、ありがとうございました。

2016年6月10日金曜日

武田陽介写真展「Arise」を観に


   フェリス女学院大学での講義の帰り、北参道で打ち合わせ。
    ちょうど、タカ・イシイギャラリー東京で、武田陽介さんの写真展「Arise」が開催されていたので、観にゆく。

    武田さんの作品は、下記、ギャラリーの特設サイトをご参照ください。


    いま、新世代の写真家として注目されている武田さんの個展。
    先日、長應寺内にあり、ユニークなギャラリーとして知られる「空蓮房」の房主、谷口昌良住職に拙詩集『耳の笹舟』を献本させていただいた後、谷口さんがぼくに観にいくよう勧めてくださったのだ。
    ぼくも、2014年に武田さんの空蓮房での個展を観ていて、たしか本ブログでも書いた気がする。

    いわゆる逆光をモティーフにし、被写体とレンズの関係性の錯綜が、色鮮やかなフレアとなって、一瞬一瞬の視覚の生起を観る者に告げる「写真態」。
    虚が実とらえ、実が虚をとらえる。光が遍く世界にひろがると同時に、観る者も遍く世界にいるような、不思議な視覚体験。

    滴水滴凍。

    まだまだ、感想はひろがるけれど。

    もう会期がすくないですが、おすすめの写真展です。

    武田さんの写真については、またどこかで語る機会を、ぜひ見つけたい。

    新鮮な写真の眼にふれて、北参道を歩くと、街の風景が、あたらしく息吹しはじめたように見えた。

2016年6月8日水曜日

稲村ヶ崎にて





    妻の誕生日に半休をとって、稲村ヶ崎にあるイタリア・レストラン、「ロンディーノ」に誘った。

    本ブログでも、何度か書いたことのあるレストラン。詩人の田村隆一さんが好んだお店だ。
    田村さんが連続的な二日酔いで、なにも食せないときでも、ここの「ニンニクと唐辛子のスパゲティ」は口にした、と奥様の悦子さんが話してくださった。詩人が食べない日がつづくと、車でロンディーノにきたのだとか。

     ぼくらがロンディーノにいった日は、あいにくの曇天。晴れると、相模湾に面したこのレストランは最高。田村さんもよくテラス席に座って、グラスをあげていたそうな。

    前菜。相模湾の飯蛸は、いつもどおりおいしい。ぼくをロンディーノにはじめて連れてきてくださったのは、詩人の城戸朱理さん。その夕べ、二十代のぼくは、こんなにおいしい飯蛸のオリーブ・オイルあえを食べたことがなくて、びっくりしたものだ。以来、かならず食べる。かならず食べたい、といえば、相模湾の手長海老も、そう。残念ながら、その日はなかったのだが。

    そして、二皿目。田村さんの詩集『毒杯』には「娼婦風」という詩がある。「西洋人はレストランに入ると/まるで詩集を読むみたいに/時間をかけて眺めている」という、あの詩。
    その「村の海岸にあるスパゲティ屋」というのが、ロンディーノのことかはわからない。「オリーブ    ケッパー    アンチョビ    トマト入り」という詩行そのままのパスタだけれども。
    ぼくはいつも、田村さんに哀悼の意を表し、このお店では「娼婦風スパゲティ」をたのんでしまう。

    三皿目、メインは「メカジキのインボルティーノ」、でした。

2016年6月3日金曜日

詩と詩論が掲載


   お知らせが、すごく、遅くなりましたが。

    「埼玉新聞」5月7日朝刊に、詩作品「Nomad」が掲載。

    アムステルダムの伝統ある季刊文芸誌『Amsterdam Quarterly』に、詩作品「Take Me to the Ball Game」がオランダ語訳と英訳で掲載されました。

    また、『現代詩手帖』6月号に、山内功一郎さんの『マイケル・パーマー』に寄せた小論「だれでもない声のために」が掲載されました。

    「Nomad」は、日本を代表するジャズ・トランペッター、五十嵐一生さんのオリジナル・ナンバーから。
   「Take Me to the Ball Game」は、アメリカのベースボール・ファンなら、だれもが歌えるスタンダード・ナンバーから。
    両作品とも、いまぼくが書きすすめている、ジャズとクロスする連作詩「Asian Dream」の二篇です。

   この連作詩は、ぼくが十代の一年半をすごした、アメリカはカリフォルニア州の街オークランドが舞台になっている。オークランドには、オークランド・アスレチックス、通称A'Sというプロ野球チームがあり、アムスの詩はこの野球観戦をモティーフに書いた作品。

    ぜひ、ご高読ください!

2016年6月1日水曜日

春の酒器をしまう日



    そろそろ、三月の春分からつかいつづけてきた春の酒器をしまおうかな。

    梅雨入りがちかづくと、徳利のなかが黴てしまうからだ。

   うえの盃は、五月に神戸の骨董屋さんで見つけたもの。17世紀の白デルフト。発掘ものだと思う。盃全体を、茨のように巻いている模様は自然にはいったニュウだ。こんなの、見たことない。

    古美濃といっしょで、土中で経年貫入したのだろう。さらに不思議なのは、まったくカケがないこと。飲口のポッチは、こびりついてしまった土の色です。サイズは、親指と人差し指でつまめるくらい。お店にはいり、十五分ぐらいで買ってしまった。
    つかってみると、茨模様はうるさくない。むしろ景色になって、好もしい。デルフトはぬくみのある白だが、所詮、洋物。日本酒を注ぎつづけるとすこし冷め冷めした気分になるし、なにより東洋の徳利にいまいちあわない。
    貫入のおかけで、和洋習合、鶏龍山窯徳利により添えると、自分では思っている。この徳利には、デルフト盃のほかに、草創期伊万里真菰紋盃もあわせて愉しんでいる。

    ことしの梅雨は、暑いか、寒いか。気温によって、古硝子か、古伊万里か、現代作家物か、徳利をつかいわけよう。