2014年12月31日水曜日

2014年、最後の詩は


  
   大晦日の朝は詩を書いていた。
   最後の詩は、北上市にある日本現代詩歌文学館の平成27年度常設展「いまを生きる詩歌」に出品。自筆原稿も展示されます。いつもおいしい龍泉洞ヨーグルトを送ってくださる方は、いまも仮設住宅で暮らされている。
   今年もいろいろなことがあった。小説家の古川日出男さん、詩人・比較文学者の管啓次郎さんらと欧州5都市で朗読した、「見えない波」プロジェクト。スロヴェニアはプトゥイでの国際詩祭への招待。チューリッヒでのリーディング。フランスはブールジュでの滞在執筆。詩人の暁方ミセイさん、管啓次郎さんと、ぼくにとって初めての共同詩集にして電子詩集『遠いアトラス』も刊行することができた。ほかにもいろいろ、いろいろ。
   来年も岩手、鹿児島、そしてアメリカなどでの仕事が控えている。
   書ききれない沢山のこと、今年もみなさまには大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。
   Dear my frends in all over the world, Iwish you will have a happy and great new   
 year. Peace and No neuks!

2014年12月29日月曜日

ロンディーノでランチ






 

     鎌倉から江ノ電で稲村ガ崎へ。海沿いのイタリアン、ロンディーノでランチを食べる。
     詩人田村隆一が好んだレストランは、シンプルだが本格・本場のイタリアの味を伝える。魚も新鮮。イタリアに行かれた方で、日本のイタリアンに物足りなさを感じているのなら、おすすめです。
   プロセッコと飯蛸のマリネではじめて、前菜、プリモは田村隆一が好んだ「娼婦風スパゲッティ」。セコンディはアイナメのソテー。田村隆一はこのレストランをよく訪れ、すぐ目の前の海を眺めながらワインを呑んだらしい。かの「三日酔い」のときも、ここの「唐辛子とニンニクのスパゲッティ」なら食べられたと、奥様の悦子さんが語られていた。ワインはピネーロ、ピノノワールのロゼで、キアーロ・ディ・カレをボトルで頼んだ。最後は洋梨のケーキ。ヨーロッパ以来、久しぶりにお腹がぱんぱん。
   三十代の前半、新宿に住んでいたぼくは、一月に一度は湘南新宿ラインに飛び乗り、ロンディーノに通っていた。さいたまからも鎌倉は電車で一本。またすぐ来たいな。
   新年一月に都内で田村隆一をめぐるイベントに出演予定です。そんなわけもあって、今回はロンディーノ。

2014年12月26日金曜日

「現代詩手帖」新年号に詩が掲載


   「現代詩手帖」2015年新年号に、「Asian Dream」ともう一篇、作品が掲載されました。今回は80行程度。
   同名の連作詩で、1991年に勃発した湾岸戦争直下のアメリカが舞台。当時のぼくはまだ十代で、一年間、サンフランシスコ対岸の黒人街、オークランドに滞在していた。アフロアメリカン解放運動、マルコムXのブラックパンサーの拠点。大リーグが好きな方なら、オークランドA’sの名が浮かぶだろう。
  連作詩は90〜2年、ぼくが聴いたりプレイしていたジャズナンバーが各詩のタイトルにもなっていて、作品には曲のクレジットもついている。ご興味のある方はYouTubeなどで検索してみてください。オリジナルの演奏ならアップされていると思う。当時のジャズを聴きながら、詩を読んでいただけるように、連作詩は書いてある。機会があれば、ぜひお読みください。
   いままで書き綴ってきた連作詩「耳の笹舟」は一先ず、終了。タイトルは未定だが、来年の冬に刊行を予定。

2014年12月25日木曜日

定型連詩『地形と気象』がスタート


 左右社公式ホームページで、詩人の暁方ミセイさん×大崎清夏さん×管啓次郎さん×石田瑞穂による定型連詩『地形と気象』が、クリスマス・イヴの昨日、スタートしました!
 ディレクターは大崎さん。マイナビの『遠いアトラス』につづき、ぼくにとっても、いまもっとも読みたい詩人たちによる豪華ユニットだと思います。

 新プロジェクト『地形と気象』はこちらから。

 http://sayusha.com/webcontents/c11/p=201412241907

 一番手はミセイさん。全員でタイトルレス、4×2+3×2の14行、ソネット風形式で連詩を綴ります。週一で順番に更新の予定。つぎの書き手はだれでしょう。お楽しみに。
 写真はパリのリュピュブリック広場から見上げた、飛行機のクロスロード。

2014年12月24日水曜日

今年のクリスマスプレゼント


   クリスマスのプレゼント、女性服やバッグを選ぶのが、とみに苦手になってきた。周囲には女性ものの下着を買うのに抵抗がない欧米や日本人の男友達もいるけれど、ぼくは勘弁してください。男子厨房に入らずなんていう御仁は、さすがに時代錯誤な気もするけれど、そのうち、女性の下着を買えない男性もそう呼ばれてしまうだろうか。
  大切な女性たちへのプレゼント、クリスマスにかぎらず、ぼくはサンタ・マリア・ノヴェッラの香水やアロマで統一している。1612年、フィレンツェ創業。世界で初めての薬局として開業したが、メディチ家の庇護のもと、石鹸やアロマを手作りしはじめた。史上初の「香水」を生み出したのもここ。17世紀、それはアクア・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ、王妃の水と呼ばれていた。
  はじめてフィレンツェの本店を訪れたとき、感動したので、日本でも買えないかなと思っていた。そういえば、よくヨーロッパに買い付けにゆくアンティークのタミゼさんではポプリを店内で使っている。焼酎をかけると、香が蘇るのだそう。
  今年は、王妃の水や手摘みの薔薇の化粧水などを選んだ。みなさん、よいクリスマス・イヴを。

2014年12月21日日曜日

自分にクリスマスプレゼント?


   自分へのクリスマスプレゼント。なんか淋しいけれど、毎年、ご褒美のつもりでなにか買うことにしている。
   とはいえ、今年はとくにほしいものもない。
   骨董屋にも最近まったく行く時間がないし、今年は海外出張も多く、懐具合も芳しくないのだ。
   そんなときは、ふだん買うにはためらってしまう、すこし高価なDVDやCDなどを買ってみる。
   今年はina版、セルジュ・チェリビダッケ全集を購入した。写真CDの「ロメオとジュリエット」はプロコフィエフのだが、ぼくはEMI版のチャイコフスキーのが好きです。金もなくて暇な学生時代は、読む本がなかったり、言葉にあぐねると、譜面をひっぱりだしてきて、一日かけてフルトヴェングラーの指揮と聴き比べをしたりした。
   数年前には、テオ・アンゲロプロスのDVDBOXを買った。酒と肴を買い込み、三ヶ日は部屋に籠りきりで「旅芸人三部作」をひたすら見続けた。仕事で外に出たとき、ひたすらギリシャの映像と言語を浴びていたせいで、自分がどこの国にいるのかわからず、くらっときたっけ。
   チェリビダッケ全集はスカルラッティを指揮した盤がないか、期待したのだけれど、残念ながら未収録。バッハの大フーガから順番に、原稿や年賀状を書きながら、年末から毎日一枚聴いていく。   

2014年12月19日金曜日

詩人のクリスマスプレゼント?


 フランス執筆滞在や他の渡欧の機会に購ったお土産。明日、十二月二十日の和合亮一さんも出演する赤坂「6次元」でのポエトリーイベントで、久しぶりにお会いする詩友の方々にプレゼントしようと思っていた。
 ぼくも出演をオファーされていたのだけれど、仕事の関係でどうしても都合がつかず、今回は見送らせていただいた。プレゼントは郵送することに。中身はパリで「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」に立ち寄ったときに買った限定グッズなどなど。書店の常連だったアーネスト・ヘミングウェイの言葉「There is no friend as loyal as a book」がプリントされたバックもある。
 もっと早くお送りするべきだったのだけれど、クリスマスプレゼントのタイミングになってしまった。イベント、ぜひお越しください。そして、出演者のみなさん、ご成功をお祈りしています!

2014年12月17日水曜日

木村友祐さんの『聖地Cs』


 年が明けるまえに、ぜひこの本については書いておきたいと思っていた。今年の秋のはじめに刊行された木村友祐さんの小説集『聖地Cs』(新潮社)は、すでに各方面で話題になった本。ぼくも『現代詩手帖』12月号アンケートなどでおすすめしていた。
 本の帯に「震災後文学で最高の一冊」と星野智幸氏がコピーを書いているのだが、異論はない。ぼくはふだん国内外のミステリ以外はあまり小説を読まないのだけれど、この本には衝き動かされ、いまも伴走してもらっている。
 東北を考えるとき、想うとき、詩に書くとき、詩と小説というジャンルのちがいはあっても、ぼくにとって『聖地Cs』は大切な本だ。技法やモティーフを学んでいるのではない。表題作の「聖地Cs」は原発事故後に遺棄された牛たちと人間、東北の内外の存在が入れ子構造のように出会いながら、より外部に広がる社会と世界の不可視のデザイン(構造)に立ち向かう。その大きな構築力は、やわらかな語り口ながら強靭に練り上げられた文体によって支えられている。しかし、この本は魅力はそういった「小説的」な問題や美には、おさまりきらないと思う。
 ぼくにとっては情動の問題なのだ。詩でいえば、抒情の力、というべきか。
 世界のちいさな/大きな残酷さや理不尽さ、暴力とふれあわざるを得ないとき、この言葉があれば、もうすこしがんばれる。それが本来の、本の力ではないだろうか。だから人にとって、本は内密で大切な世界だ。エンタメや文学に閉じきらない、『聖地Cs』にはまだそんな遠い場所が存続している。派遣社員、格差社会をとりあげた「猫の香箱を死守する党」にもある。ぼくらは「いま=ここ」の生を書きとるために、日々、詩や小説を研究している。でもそれがほんとうに実現しそうになるのは、いつも詩や小説を越えて架かる紙のブリッジが生まれたときだ。情動について書こうとすると、ぼくはいつもうまく書けない。それは世界が在ることについての、信仰を語ることにも似ている。
 青森県八戸市生まれの小説家、木村友祐さん。ご本人には、何度かお会いしたことがある。控えめで、言葉数がすくない木村さんが、そのやさしげなマスクのしたで、じつは骨太な「王道の小説家」であったことが、むやみにうれしい。

2014年12月16日火曜日

吹き飛ばすための筑前煮




 衆院選挙から一夜明け、安倍政権と自民党が不戦勝。投票率は戦後最低を更新。原発問題は、秘密保護法案は、どこへいった?七百億円以上の血税で無意味な解散総選挙をやっておいて、いったい東北被災地をはじめ、全国に公立学校が何校建つだろう。何千人の教師が雇えるだろう。介護費用も引き下げられている。
 テレビを見ていても哀しく、不快だったので、こんなときは手のこんだ肴でもつくろうと冷蔵庫を見たら、ちかくの農家さんからいただいた野菜が多くある。そうだ、ひさしぶりに筑前煮をつくろうと、ルクルーゼを棚からおろす。
 レシピは瀬戸内生まれの料理研究家・濱田美里さんに教わったもの。アゴだしをつかう。そういえば、詩人の高橋睦郎さんは九州の生まれ。子ども時代の得意料理は筑前煮だったとお聞きしたことがある。
 ぼくなりのこつとしては、炊くときに蓋(落とし蓋も)はしない。まず熱湯で野菜と鶏肉のぬめりを除いた後、煮汁が半分になるまで強火で野菜を炊く。半分になったら鶏肉を入れ、さらに強火で煮汁がからまる程度まで煮詰めて完成。煮炊きの時間はせいぜい二十分程。このほうが長時間煮るより、味が染みるのだ。
 おいしそうにできたら、市川孝さんの鉢に盛り、上泉秀人さんの白磁盃で晩酌。おともに、秋山十三子氏の名エッセイ『おばんざい』をひらいた。

2014年12月12日金曜日

ダヴィッドの筒茶碗





 フランスはラ・ボーヌの陶芸家、ダヴィッド・ルーボーさんから白磁の筒茶碗をプレゼントしていただいた。フランスではこれで紅茶やカフェオレを飲むのだろう。とりあえず、ぼくは母に茶室で一服たててもらう。
 信州、釜山などで修行しただけあって、オリジナリティーをひきだしつつ、茶事にもちゃんとつかえる抹茶碗になっていた。カメラのせいで青みがかってしまったけれど、あたたかい肌合いの白磁で、釉薬は黒田泰三氏から習ったとか。母によると、すこし高台は低いけれど持ち手は具合がよろしいとのこと。
 日本の作家の茶碗とくらべると、やはり洋風、フランス味があって、新鮮な気がする。花器には、母が庭のヤブツバキ(侘助)とイトギク、リョウブを活けた。ダヴィッドさんの白磁筒茶碗は、ときどき気軽な自服でつかわせてもらおう。 

2014年12月11日木曜日

父と酒




 心臓をわずらった父が退院した。酒が好きで、ぼくとは毎晩のように呑んでいた。その父が、すくなくとも一年、酒が呑めない。
 ぼくも禁酒につきあおうと思っていたのだけれど、まあ無理な話です。胸の内で「ゴメンネ」とつぶやきながら、ちかくの農家さんからいただいた初物の衣かつぎを秩父の酒でいただく。「きぬかつぎ」とは、お正月のおせち料理などで食べる八頭の小芋(うちの近隣では里芋ではない)。中身が里芋より褐色でねっとりと濃厚なのだ。盃と片口はふだんづかいの額賀章夫のもの。それと古伊万里小皿。晩酌はもう十五年、この組み合わせ。
 仕事で新橋によく行っていた父を、小津安二郎が通っていたバー「ジョン・ベック」にいつか連れていきたかった。浦和の田楽も、まだいっていない。
 またいっしょに呑める日が、くるといい。

2014年12月9日火曜日

「虚空」に詩が掲載


 「虚空」という詩誌に、「ベートーヴェンの補聴器」という詩を寄せました。「虚空」は詩人・小宮壱雄氏をはじめ、歌人、俳人たちが集う詩誌。ユニークなのは、同人がお坊さんという、仏教的ポエトリーマガジンだということ。
 ぼくの作品は、ウィーンにある「パスクヴァラティハウス」(ベートーヴェン記念館)に通った体験をもとに書いた詩。そういえば、今日、たまたまシューマンの心臓が五十年ぶりに調査された記事が朝日新聞に載っていた。
 機会があれば、ぜひお手にとってみてください。

2014年12月6日土曜日

もう師走




 フライング気味に風邪をひいて寝込んだと思ったら、父が急病で倒れて入院。ペンと原稿用紙を持って、病院と喫茶店とデスクの前をぐるぐる通過する日がつづく。気がついたらブログを更新できずにいた。
 そんな日常で、おだやかな気持ちになれたのが、意外にも大学の授業だった。早大の創造理工学部でぼくが教えているのは、戦後から現在までの詩の歴史。田村隆一からはじまって、いまは湾岸戦争下の吉原幸子、そして吉田加南子氏の詩をとりあげたところだ。某社から刊行予定の評論集の準備もあって引き受けた連続講義だけれども、九十分間、ただひたすら学生さんの前で好きな詩の話をすることが、気分を落ち着けてくれる。
 大学って、じつはとても静かな場所なんですね。帰りはちょっとだけ池袋に立ち寄る。池袋には二年間程、居合道の稽古に通ったことがあった。ここ十年、あまり来ることがなかったけれど、どなたかいい喫茶店を知りませんか。 

2014年11月27日木曜日

早稲田大学講義はじまる


 11/25から早稲田大学創造理工学部で講師をすることに。ほかの仕事も入れて、一泊二日、都内へ出張。早大の学生のみなさん、よろしくお願いします。
 早大は文学部で講義やイベントに出演したことはあったけれど、理工学部ははじめて。キャンパス内には「高速運転電力施設」とか、理工学部ならではの耳なれない施設が点在していた。別の授業を覗き見しても、黒板にはまったく理解できない数式がならぶ。ぼくにとっては、不思議の国にまよいこんだ感覚がある。なになに、「百円朝食」?。これならわかるぞ。でも、百円ってすごいな。
 夜は思潮社の高木総編集長、出本氏と呑み会が予定されていたのだけれど、諸事情あって、中止。神保町にでて「いるさ」で食事をしてから、わが隠れ家バー「グラウンド・ライン」へ。ボウモアのシングル・カスク、19年が入っていたのでストレートでもらう。
 翌朝はホテル近くのモエ・ヘネシー・ジャパンで打ち合わせをして帰宅。さいたまでは大銀杏の紅葉がまっさかり。秋の長雨のなか、黄金のプールができていた。

2014年11月24日月曜日

ブールジュのアーティストたち(4)


画家 Xavier Bolotさん




 イグザビエ・ボロット氏はブールジュ在住の画家。執筆滞在の折りには公私にわたってお世話になった。
 パリのソルボンヌ大をはじめ、エコール・デ・ボザールの会員でもあり、脳科学・神経生理学の分野から視覚の研究もされている。彼の絵画のテーマはいわば「見え」をめぐるもの。人間と絵画にとっていわば世界がどう見えているのかを、脳科学とヨーロッパ絵画史から詳細に論じた斬新な研究書も刊行している。
 純粋に画家としても人気があるのだが、彼からはヨーロッパ絵画におけるデッサンの制度、テンペラ画法など、さまざまな話を聞き、教わった。とくに面白かったのが、建築と絵画の視覚の関係性。イグザビエによると、ブールジュのサン=テチエンヌ大聖堂の支柱は花が咲くように上方に開いている。いかに垂直に見えようとも、これは堂内における人間の視覚を荘厳へ導くのと同時に、巨大な大聖堂の重量を支えるための必然的な施工だ。設計・建築技師には敬虔な修道僧も多かった。ルネサンス以降、ポピュラーになった人体のデッサンは、歪曲にもとづく伝統的な中世建築学に影響されているのだという。
 このあたりのことは、ぼくがあずかっている彼の英訳原稿にくわしい。もしご興味がある方は、ご連絡ください。イグザビエの中世建築学の話を聞いていると、ダン・ブラウンのミステリの世界にまよいこんだかんじがした。
 イグザビエは「見えない波」公式ホームページのために、原稿を寄せてくれた。英訳もついています。近日、アップしますので、お待ちください。

2014年11月22日土曜日

ブールジュのアーティストたち(3)


さて、これはなんでしょう? 
答えは本文で。





左からXavier Bolot さん、右がIsabelleさん

 「ランチでもどう?」と、イサベルが手料理でもてなしてくれた。パートナーで画家のエグザビエさんも合流して、あいさつ。
 友だちの陶芸家の作品という絵皿にサラダ、そしてベリー地方の代表的なおもてなし料理、いものタルト(白ワインにすごくあう)が前菜。おしゃべりと食事がはじまる。ほどなくすると、恐竜の卵のようなものがドーンとテーブルのまんなかにのった。
 卵はイサベル発明のオーブン用ポット。ふたをとりはずすと、黄味のようなものがほかほかと湯気をたてる。以前、本ブログで紹介したプチマロン(というカボチャに似た野菜)で鴨と豚肉の合い挽き肉、栗などをつつみ、むし焼きにした料理だった。
 「わたしたちはマレに畑をもっているの。そこで収穫したプチマロンよ」とイサベル。肉汁がとれたてのプチマロンによくしみこんで、ものすごくジューシー。料理の腕はシェフにひけをとらない。フランスの秋を舌で堪能した。

2014年11月19日水曜日

ブールジュのアーティストたち(2)





 イサベルの家の地下室から出土したのは、古代ローマ時代から18世紀にいたる、陶片の数々。
 いちばんうえの写真、緑の釉薬がつかわれているのは、16世紀ごろの食器。蓋がつくようになっていて、かたちからすると給仕用のスープボウルかもしないとのこと。ジャック・クールをはじめ、ブールジュには裕福な商家が軒をつらねていた。次はローマ時代の陶片。もとの姿は不明だそう。
 三番目の写真、ブルーの釉薬の人物像の部分。イサベルによると、これは中世の狩りの装束で、人物が持っているのはパイプだとか。猟場で音楽をかなでたり、音で獣を追いつめたりするのだという。
 一番下の写真は、ブルーの人物像の陶片をもとにイサベルが復元して焼いたもの。これは伝統的な装飾屋根瓦で、日本の鬼瓦のように屋根の四隅にとりつけられる。注目してほしいのは、人物像の下の部分。おっぱいみたいな突起があるでしょう。これは風が吹くと笛のように鳴る細工。あ、だから楽団の笛吹きなのか。かつてのブールジュでは、屋根のうえで風見鶏や音楽家たちが風のホーンを鳴らしたのだと思うと、うれしくなる。昔の人は、ほんとうにすてきな遊びごころをもっていた。

2014年11月17日月曜日

ブールジュのアーティストたち(1)



陶芸家 Mme. Isabelle Renault


イサベラさんの作品




 帰国後の〆切祭りも一段落。ブログの更新を再開します。これからしばらくは、フランス、おもにブールジュで出会ったアーティストたちを、その暮らしぶりもふくめてご紹介します。
 写真のマダムは陶芸家のイサベラさん。ラ・ボーヌには在住せず、ブールジュの旧市街で陶芸を営んでいる。かつては小学校の英語の先生でもあり、自分のステュディオで子どもむけのワークショップもおこなっているのだ。写真のトップは、今夏の子どもたちの課題。精巧につくられたサン=テチエンヌ大聖堂は三人の子どもたちの共作。
 イサベラが焼くのは植木鉢や装飾屋根瓦など。でもたんなる日用品ではなく、中世の陶芸を研究して生まれた、まさに「用の美」の陶芸だ。その日は完成品が売り切れていたが、植木鉢も素朴さのなかに洗練されたものがあって、とてもいい。陶芸家というと、田舎に暮らして窯を築くイメージがあるけれど、中世ヨーロッパではパン屋と同じで街に工房があった。いわばイサベラのほうが、伝統的な職工かもしれない。「最初は食器もつくっていたわ。でもみんな茶器や食器を専門的につくるでしょう。わたしは街の人のオーダーメイドでいろんなものをつくるの。中世の陶工たちは食器から家具まで、ほんとうになんでもつくったわ。わたしはそんな歴史にも興味があるわね」と、イサベラ。
 イサベラの家は築四百年ほど。ブールジュでもひときわ古い家だ。そして二十年前、イサベラがこの家を買い、修繕にとりかかったとき、おどろくべきものが見つかる。それがこの地下室。なんと地下三階まである。調査ではローマ時代まで遡るらしい。最初は土に埋もれていたのだけれど、イサベラが地元の歴史学者の協力で、何年もかけてバケツで掘り返してここまできたのだという。この珍しい地下室の話は、次回をお楽しみに。

2014年11月13日木曜日

帰国しました



 ボルドー、パリ、ブールジュ。フランスでの約二十日間の執筆滞在を終え、帰国しました。帰国後は仕事や〆切に追われ、ブログが更新できずにすみません。これからも、ぜひおつきあいください。
 現在、絶賛、時差ボケ中。写真は午前六時、夜明けの庭。ここまでで、もう原稿を一本書きおえている。日本に帰ってきてだいぶ秋が深まったと思う。熟しきった黒柿をめぐって、毎朝ヒワとオナガがやかましく陣地争いをくりかえす。
 帰国後の初仕事は、さいたま市内の芝川小学校でのワークショップ。親子で楽しむ「詩のスケッチ」をやりました。子どもたちは天性の詩人。大人の参加者のみなさんも、子どもたちのためにがんばりつつ、楽しんでくださったようだ。
 今回のぼくのベストフレーズは高学年男子の詩行―

 「それでも にわとりは いいやつ」

 芝川小学校のみなさん、また、来年!