2015年6月29日月曜日

島への幻窓


   5月に大阪で開催された「まどろみの島ーuisce agus loch」で展示されていた、写真家・赤阪友昭さんのオリジナルプリント作品をゆずっていただいた。作品のタイトルは「Uisce #3」。ケルト語のウィスケとは、ウォーター、水の意味。ウィスキーの語源でもある。凪いだ海上で瞑想するような島は、イギリスの北西端ヘブリディーズ諸島の一島、ルイス島だそう。夜明けの時間帯に赤阪さんの愛機、ローライフレックスで撮影した作品だという。
    ヘブリディーズの曇天と海は、おなじ色彩でおたがいを映しあっている。この色は、ブルーともグレーともグリーンともいえない。うつくしいとだけ、いえる。おもしろいのは、そのときの天候や光の加減で、作品の海の色が微妙にうつろうこと。広大な空と海の透き間、天地創造にひらいた傷か瞳のようにわだかまる影。ヘブリディーズ諸島は、神格化、人格化され物語られる島々が多い。島という、神。
    写真に函封されたあまりに静謐な時の潮流のまえで、ぼくはただ黙ってスコッチを呑む。今夜もその色彩をいいあてようと、灰の味のする黄金のウィスケをゆっくりかたむける。ヘブリディーズと日本の時間が、すこしずつつながってゆく。
    いつのまにか、眠ってしまう。

2015年6月26日金曜日

「現代詩手帖」7月号に詩が掲載




   今月の「現代詩手帖」7月号に「Solar」という作品を書きました。ぜひご一読ください。
   ジャズが好きな方なら、マイルス・デイヴィスの名曲「ソーラー」をご存知だろう。
    ぼくはいま1991年のアメリカに、記憶をさかのぼる連作を書いている。舞台は、アメリカ西海岸の工業都市、オークランド。サンフランシスコの対岸にある、アフロ系アメリカ人が住民の50%をしめる多人種の街だ。現在も新世代の移民が多い。いわば「黒人街」で黒人解放運動家マルコムXひきいる「ブラックパンサー」の拠点となった地だ。いま、チャールストンやセントルイスで勃発している人種間抗争は日常のリアルでもあった。
    そして1991〜92年のアメリカは作品でも書いたように、湾岸戦争が開戦した年。これを機にグローバリズムはより激流と化す。911からいまの安部政権がはじまる発端の年だった。移民社会と越境の記憶、静かにそして急激に右傾化する世界を背景に、当時聴いたりプレイしたジャズと詩がクロスする連作、を意図しています。
    ぼくが今回の作品のもとにした「Solar」は、ジャズギター界のヴァーチュオーゾ、パット・メセニーが90年にリリースしたアルバム『question & answer』でカバーしたもの。ベースはデイヴ・ホランド、ドラムはロイ・ヘインズ。あのパットがスタンダードをプレイし、しかもトリオで録音したプライベート音源ということで、当時、とても話題になった。ぼくもギターを弾いており、このアルバムにすっかり夢中になった。テープにダビングして(いまの10、20代の方はわかります?)、楽譜に書きおこし、くる日もくる日も練習したものだ。当時は完コピーに近いくらい弾けた。いまでも、これをこえるギタートリオ・アルバムはなかなかないと思う。
   この連作を書くにあたり、原稿用紙を変えた。神楽坂にある相馬屋の方眼升原稿用紙は、升目をやや狭くとってあるのにたいし、申し送り用に通常の原稿用紙よりおおきく余白をとったデザインになっている。作品のベースになったジャズナンバーのクレディットを記入するのに、ぴったりなのだ。

2015年6月24日水曜日

梅雨の酒器






   梅雨の酒器は、悩ましい。まだ夏の気分ではないので、本来は硝子徳利はつかいたくないのだけど、この季節、土の徳利は黴やすい。また夏用の盃もつかえないので、困るのだ。
   写真の初期李朝粉引盃は、以前、韓国のソウル大学に招かれたとき、踏十里でもとめたもの。発掘伝世品でふちに疵、裏底にややにゅうがあるが、ほぼ完器。第一詩集の『片鱗篇』が日韓現代詩アンソロジーに抄訳掲載され、刊行記念行事に招かれたのだった。十年近く前になる。
    おおらかなひき方で、珍しい粉引だと思う。移行期の器で、やや厚手だが指にぴったりなじんでちょうどいい重み。酒を呑むのに安心感がある。口あたりもやわらかい。長年、酒を注いでいたら、うすい刷毛目のしたからとろりとした土味がでてきた。難点をいえば、あう徳利が見つからないこと。ゆえに、硝子徳利とあわせて、梅雨の盃にしているのだ。
    都内の寿司やで李朝をあつかう骨董屋の主人と呑む機会があり、この盃を持参したら、「ゆずる気があるなら」と買値を教えてくれた。だいぶ出世していた。主人にはこの盃にあわせる徳利の算段でもあるのかもしれない。
    気負いなく買った盃だけど、酒器が欠乏する梅雨の遊び友だち、こんなに長いつきあいになるとは思わなかった。そんな意外性も、骨董のひとつの愉しみだと思う。

2015年6月22日月曜日

左右社『地形と気象』に詩がアップ



   左右社ホームページで連載中の定型リレー詩『地形と気象』に、ぼくのターン、「#28」がupされました。
    ぜひお読みください。


   座に加えていただいて、とても勉強になるし、おもしろいです。ぼくが連詩の愉しみを知ったのは、一昨年の「しずおか連詩」に招かれてから。先日、ディレクターでもある詩人の野村喜和夫さんにお会いしたとき、今年の若手メンバーのひとりを内緒で教えてもらった。ぼくは11月に高岡修さん、城戸朱理さん、和合亮一さんとともに、鹿児島で開催される国民文化祭に出演する予定。静岡には行けないけれど、今年も充実した布陣になりそう。
    この連詩、ジェフリーさんの英訳のおかげもあって、海外の詩人たちにも知られている。先日、イギリスから観光に来た友人は、この連詩を読みながら日本を旅したそうだ。ネットって、すごいですね。とはいえ、ウェブ連載なのに、原稿はすべて手書きだけれど。ぼく。

2015年6月18日木曜日

盛岡へ





   盛岡へ。震災から四年、東北の景況もだんだんと復活してきている。今年にはいって五度目の盛岡。新幹線の利便がよくなって、東北も日帰り出張が増えている。三時間の用のために、往復五時間の車中。しかも滞在時間のうち、一時間半が呑みなのだから、忙しいのか、優雅なのか。
   とはいえ、「ぴょんぴょん舎」はいつもおいしい。いわて短角牛のステーキ、上ロース、カルビときて、最後は元祖盛岡冷麺。キンキンのビール、マッコリ。盛岡は蒸し暑かったので、ああ天国。出張の憂鬱は焼いて食べてしまった。
    帰りの新幹線のなかで、ぼくはハイボールより水割り派。食堂車があれば、車中の旅も楽しいのに。愛読している宮脇俊三氏のような鉄道旅行をいつかしてみたい。もはやイギリスに行かないとだめかしらん。
    大宮に着いてすこし呑み足りないので、タクシーで一ノ鳥居の「鯉平」へ。川魚料理はいまや大宮でも数が減りつつある。鯉のあらいと日本酒。明日は思潮社で打ち合わせなので、新詩集のゲラにむかいつつ一杯。表記ゆれぐらいしかなおさないけれど。
    ときおり目をとじて考える。瞼の裏に、まだ岩手山が灼きついている。

2015年6月16日火曜日

左右社ホームページに書評



   詩人、比較文学者の管啓次郎さんの新刊『ハワイ、蘭嶼』のブックレビューを左右社ホームページに書きました。
   下記アドレスより、ぜひご一読ください。


    掲載後に、管さんからこんなメール。

今週は台湾に来ています。台湾の国立政治大学、タイのチュラロンコン大学との共同ワークショップImaginAsia で。東部のタロコ国立公園の山の中で3泊し、台北に戻ってきました。ミセイさんも、きっと多くを得たはず。

    詩人の暁方ミセイさんは、いま、管さんのゼミ生なのだ。
    『ハワイ、蘭嶼』は、小野正嗣さんが雑誌「ミセス」でもとりあげたそうです。ぼくもあとで読んでみよっと。

2015年6月12日金曜日

夜の豆かん



   イベントに打ち合わせ、〆切ズが明けたら無理がたたってお約束の耳鳴り。
   こうなると人間は平目のごとく水平性の生物になるしかなく、シーツの白砂に同化してすごすしかない。そんなわけで、ブログが更新できずに、すみませんでした。
   ことの発端は火曜日。大阪で開催した「まどろみの島ーuisce agus loch」の第二弾の打ち合わせのため、大阪から仕事で上京した写真家・赤阪友昭さんとともに蔵前の某ギャラリーへ。打ち合わせは順調にすすむ。今秋の開催はさすがに厳しいので、来年の春あたりだろうか、などと話しながら次の打ち合わせに向かう友さんを送りつつ、ぼくはかるく一杯のつもりで浅草の鰻の老舗「やっ古」へ。ところが、おやすみ。そして、ここから歯車が狂いだす。
   なにせ暑かったので新橋の名ビアホール「ビアライゼ」に飛びこみ、メンチカツと枝豆、アサヒまるFなど四杯をおかわり。それから蕎麦や呑みをはさんで、小津安二郎が愛した老舗バー「ジョンベッグ」でドライマルチ二、バラライカ、ベッグ、ロイヤル30年など。すでに酩酊気味ながら、浦和で下車。「田楽」へ。すると常連のマサさんがいて、「先生、いま83年のシャトー・ラ・ミッション・オーブリオンがあいたところです」。
    ろれつのまわらない舌でワイン談義?を終えたのは21時前。新橋駅で下車してから五時間が経過。ワインをごちそうしてくれ、運転手つきの社用車で帰ってゆくマサさんに敬礼。ぼくは徒歩で近くの「ときわだんご」へ。
    閉店ぎりぎりまえ。いつもの「豆かん」をたのむ。老舗の豆かんは、ほとんど甘みがなく、ドライ。黒蜜がほんとうに微糖なので、蒸し豆とかんてんの天草、自然の香りと冷たい食感が豆かんを構成する味のすべて。ぼくは酒を呑んだ〆はいつもこれ。閉店時間に間にあうようにと、長い酒が減った。お土産に豆かんを二個つつんでもらう。思えばこのとき、浦和なのにオーロラの音がしていた。耳のなかで夜が燃えているような。
    最寄り駅に着いたら、財布のなかは空っぽ。駅から半時間ほど歩いて帰宅。翌朝は耳鳴りだか二日酔いだかわからない頭痛。詩人の平目、一丁あがり。  

2015年6月7日日曜日

おめでとう、岡本啓さん





   6/7の日本現代詩人会主催の「日本の詩祭2015」にて、岡本啓さん『グラフィティ』のH氏賞贈呈式と、八木忠栄さん『雪、おんおん』の現代詩人賞贈呈式がそれぞれおこなわれた。
   岡本さん、八木さん、おめでとうございます。
   岡本さんの紹介スピーチはぼくが担当、八木さんのスピーチは中上哲夫さんだった。
   写真は贈呈式後の岡本さん、八木さんの朗読。岡本さんは人生初朗読。岡本さんはブラックスーツで現れ、タイトルポエム「グラフィティ」をえらんだ。財部鳥子会長も褒めていたけれど、最初は初々しくも、徐々にテンションを高めていって、岡本さんの詩世界の「声」が、スプレーガンみたく響く。八木さんの朗読は初めて聴いたけれど、さすがに朗々とうたいあげるようで、上手だなぁ。日本の詩祭2015のプログラムはこちら。


    顕彰詩人には新藤涼子さんも選ばれた。すこし体調が懸念されたが、お話も朗読もバイタリティーを失っていない。安水稔和さんはT・Sエリオットを引きつつ、地元神戸の震災と詩的記憶をめぐる挨拶。主知の詩人は、歳月を経ても立ち姿に澱みがない。石川逸子氏のお姿は初めて目にした。力づよく反戦を訴える姿が、スロベニアで出会った詩人Elke Erbを彷彿とさせた。
    後半は小説家の町田康さんが出演して、詩人の山田兼士さんとのトーク、そして朗読。写真は上から三枚目。席がたまたま隣で「高校生のとき、新宿LOFTでライブを観ました」と話しかけると、「なつかしいねえ」とにっこり。こっそり、サインとチェキをしてもらった。今年もたいへん盛り上がった詩祭だった。

2015年6月6日土曜日

明日はH氏賞贈呈式でスピーチ



    明日は東京の飯田橋、ホテルメトロポリタンにて、岡本啓さんの第65回H氏賞贈呈式。そのスピーチをぼくが担当することになった。光栄です。
    現代詩人賞は、八木忠栄さん『雪、おんおん』が日本現代詩歌文学館賞とともにダブル受賞。詩歌文学館の贈呈式にはうかがえなかったが、久々にお会いできそうで、うれしい。
    せっかくの機会だからと、またブルックス・ブラザーズでサマースーツをしたててしまう。脇役なので、色はダークグレー。今回はブルックスのなかでもオーソドックスなスタイル、「フイッツジェラルド」にした。シューズはいつものオールデン。
    岡本さん、八木さん、あらためておめでとうございました。

2015年6月3日水曜日

「まどろみの島ーuisce agus loch」閉幕御礼






   5/30に「まどろみの島ーuisce agus loch」が無事に千秋楽を迎え、閉幕しました。予想を上回る、多くのお客さまにご来場いただき、お礼を申し上げます。ありがとうございました。
   関西出張の余波でブログの更新が遅れてしまい、おわびいたします。
   本展のレビューは「現代詩手帖」に掲載の予定です。
   おかげさまで、ご好評をいただき、東京での第二弾も年内開催にむけて企画が進行中。ぜひお楽しみに。
   今回の展示は大阪福島区の老舗商店街、「聖天通商店街」にある「フォトギャラリー・サイ」で開催されていた。大阪の下町は人情も時間の流れ方もここちよく、とても気に入ってしまった。聖天はあるすじには有名スポット。それは、辻占いの市が毎週金曜日にたつからであり、多くの占い師さんが露店をかまえる。商店街のキャッチコピーは、上写真のごとく。「売れても占い商店街」笑。
    滞在中、ギャラリーを抜け出して通った酒屋さんの灘の酒の味、「なかの」のふわふわなたこ焼きの味は忘れられない。戦災からかろうじて守られた町並みには、むかしの大阪の面影があった。「ヘレカツ」をだす老舗の洋食やさん、秀逸な呑み屋さんも多いです。こんどは仕事ではなく、ただ呑みに来ます。聖天のみなさん、それまでどうかお元気で!