2014年10月31日金曜日

おめでとう、三角みづ紀さん


昨日はパリで仕事
そのあと
サン・ルイ島ちかくの
シェイクスピア アンド
カンパニー書店に
立ち寄る

ご存知
ヘミングェイやジョイス
ヘンリー・ミラー
バロウズをはじめ
世界の詩人や作家が訪れ
懇意にした店だ

三角みづ紀さんの
萩原朔太郎賞受賞の
お祝いを買うため

ぼくはフランス
ブールジュでの滞在執筆で
授賞式には
お伺いできませんが

みづ紀さん
ほんとうに
おめでとうございました

2014年10月30日木曜日

ブールジュ、フランスの家庭料理


黒鶏のグリル



ニコル・ギヨーさん Mme. Nicole Guillot





右からベルナールさん(M. Bernard Guillot) ニコルさん

 滞在執筆中お世話になっているギヨー家のダイニングは、古びた梁にアンティークの蠟燭のシャンデリアやアート、各国の旅土産が飾られ、なんとなく海賊船のようだ。
 ベルナールさんの診療が終ると、同じく精神科医で妻のニコルさんが夕食をつくってくれる。ニコルさんは大の料理好き。ヴァカンス中なので、いっそう手のこんだおいしい料理をつくってくれる。ぼくと妻はかれらの猫みたいに、そのいい匂いにつられてテーブルの下にやってくるのだ。なんという暮らし。
 ニコルさんがつくってくれたのは、まずPetit marron プチマロンのポタージュ。プチマロンというと、栗を思い浮かべそうになるが、カボチャに似た野菜。日本ではあまり売っていないが「土に種を植えればすぐ育つわよ」との由。フランスの秋の味覚でもある。
 メインは、Poule noir de berry プル・ノワール・ドゥ・ベリーのグリル、梨、イチジク、茸、ジャガイモ、煮豆添え。「ベリー地方の黒い鶏」という意味で、ほんとうに真っ黒な羽毛でおおわれた軍鶏のグリルだ。皮は独特の歯ごたえがあって、肉のうまみがすばらしい。まさに、ジビエといったかんじ。
 旧市街のワイン屋では4€から30€ぐらいまでのベリー、ボルドーのワインを売っている。ぼくはニコルさんの料理をいただきながら、ベルナールさん、妻とにぎやかに食事をする。ワインは一日、一本のペース。なんという暮らし。

2014年10月29日水曜日

ブールジュ、コーヒーショップの時間








 フランスでややこしいのは、カフェ、ビストロ、ブラッスリー、レストランのちがい。このどれでも酒をだすし、食事もできる。ブラッスリーとレストランのちがいをベルナールさんに尋ねたところ、「ブラッスリーは食事も気軽で音楽がかかり、お客がわいわい騒げて呑み食いできるところ。レストランはドレスコードがあって静かに食べる。レストランはもともとキリスト教の安息日に家族で静かに食事ができる場所だったんだ」という、じつに明快な答え。
 ぼくが朝、詩を書くのはコーヒーショップ。これは日本でいう喫茶店で、コーヒーとクッキーぐらいしかない。ぼくのブールジュでのお気に入りは、ニコルさんに教えてもらった、「Les Trois Cuillieres」(三本のスプーン)。1€(1ユーロ)でエスプレッソ(フランスの通常のコーヒー)が飲めるのがうれしい。音楽はいつもノラ・ジョーンズやダイアナ・クラーク、ジャック・ジョンソンといった、アメリカのロックやジャズがかかっている。フランスではめずらしく紙コップで飲み物をだしたりする、おしゃれなアメリカふうコーヒーショップだ。
 ここにきて、原稿用紙ではなく、ノートに詩を書きはじめた。写真の赤いノートで、カルフールというスーパーで買える一冊1.5€のノート。カイエと呼ばれる学習帳だ。五線譜のような方眼罫のノートで、小中高校生はこれに必ず万年筆で書くことが、フランスの学校の伝統になっている。
 ぼくはノートの背を机に平行にして開き、縦書きで書いている。そうすると、ノートの一行がちょうど十六文字の正方形の方眼で区切られることになり、詩のリズムにとってじつにいい。ぼくはこれにカランダッシュの銀軸のボールペンで書く。
 執筆のお供は、フランスの大衆煙草「ゴロワーズ」。もう二十年ぐらいずっと吸っている煙草で、葉巻のようなくせのある薫りが好きなんです。ただし、これ、日本から持参したゴロワーズ。EUでは煙草の値段がびっくりするほど高い。だいたい7.5€ぐらいだから、1,000円ぐらいかな。いま、フランスでは電子煙草が流行っている。税にひっかからないので安いからだ。

2014年10月28日火曜日

ブールジュ、ギヨー邸のこと



ギヨー家の外観(中央)


ぼく用の書斎


聖エチエンヌ像 16世紀ごろのもの




 ぼくが逗留しているのはブールジュの精神分析医・臨床心理医ギヨーGuillot夫妻、ベルナールさんBernardとニコルさんNicoleさんの家。通訳をしてくれる妻の留学先でもある。
 アパルトマンもあるのだが、「ブールジュに滞在するなら家にきて」と、こころよくホームステイをひきうけてくれた。ギヨー家はアジア各国を旅していて、もちろん、日本にも来たことがある。
 ギヨー家に滞在できることになったのは、ほんとうに素晴らしい。かれらの家も組木と石の中世の家。築三百年近いとか。こうした古い家は、持ち主が何年もかけて修繕をかさねながら暮らす。家はブールジュの歴史的建築物でもあるので、大きく外観を変えることは許されていない。
 邸内にはギヨー夫妻が蒐集したさまざまなアートが、写真のように絶妙に、センスよく飾られている。一見、絵や各国の民芸品、陶器が雑然と置かれているようだが、ちゃんとクリーム色の石壁や黒光りする中世の垂木に呼応するように飾られているのだ。
 到着初日、ぼくらのベッドルームと書斎を見せてもらう。歓迎のしるしとして、ブールジュの秋の花、デイジーの花瓶が置かれていた。

2014年10月26日日曜日

ブールジュ、エコール・デ・ボザール


世界遺産のサン=テチエンヌ大聖堂
Cathedral St-Etienne 
ファサードの高さは70m
でかすぎてフレームにおさまらない


ブールジュのエコール・デ・ボザール


ボザール通りのレ・ボザールというレストラン


 いちばん下の写真は、今年のメインの滞在詩人、フランスのジャック・ジュエ氏。ぼくはここブールジュで約二十日間の執筆滞在に参加する。ジュエ氏は、来月から二回、創作のワークショップをブールジュでおこなうみたいだ。滞在詩人、作家は、執筆や制作のほかに、こういった交流プログラムに参加する。
 ぼくも来月、地元のアーティストと朗読のコラボレーションをする。その模様はブログでお伝えできると思います。
 今朝は、滞在の無事を祈り、サン=テチエンヌ大聖堂にお参りした。

2014年10月25日土曜日

ブールジュ、滞在執筆のはじまり






 ボルドー、パリでの仕事をおえて、TGVに乗り二時間。やっと、今回の旅の目的地、ベリー県のブールジュにたどり着いた。
 フランスで17世紀に創立された美術アカデミー、エコール・デ・ボザールEcole des Beaux-Artsの招きできたのだが、ぼくは滞在地に迷わずこのブールジュを選んだ。
 ブールジュはフランスの臍のような場所。パリでブールジュといっても、ほとんどの人が、それ、どこ?と首をかしげる。
 でも、写真のように、美しい小古都でしょう。絵本の頁に飛び込んでしまったような。ベリー特有の、赤や茶の組木でできた花崗岩の家は築200~400年といわれる。これはバスク地方にゆくと、赤と緑の組木になります。旧市街の家がすこしゆがんだり、傾斜して見えるのはカメラレンズのせいではない。
 大商人ジャック・クールがもたらした富のおかげで、ブールジュはロワール地方の文化と芸術の中心地となる。シャルル七世が落ち延びた都でもあり、サン=テチエンヌ大聖堂は1982年に登録された世界遺産。
 バルザックやコレットも訪れ、ジョルジュ・サンドが連作を書いた土地。かの「マルドロールの歌」の詩人、ロートレアモン伯爵の足跡もある。いま、このブールジュに、詩人、作家、アーティストなどが滞在し、執筆、ワークショップ、個展をしている。

2014年10月24日金曜日

パリ、ヴェルレーヌの家など


サクレ・クール聖堂


サクレ・クールからのパリ


モンマルトル


小説家ジャン・ジュネが住んだ界隈



詩人ポール・ヴェルレーヌの婚家


詩人アルチュール・ランボーのタイル

 土曜日。仕事が半日空いたので、モンマルトルまで出る。行ってみたいブラッサリーがあったのだけれど、なぜかお休み。しかたなく、サクレ・クールまで足をのばす。
 「石鹸の白い泡のように美しい教会」と、ヘミングウェイが形容したサクレ・クール。何度もきたことがあり、運動もかねてお参りしてみたけれど、ものたりない。
 パリで暇になってしまったときは、文学散歩。モンマルトルといえば、ジュネ。旅のノートを頼りにジュネの住んだアパルトマンをさがす。
 ふと、ヴェルレーヌの家があったことを思い出す。ノートをたぐると、Rue BacheletとRue Nicoletがぶつかるあたり。まったく特性のないパリの裏町に、はたしてヴェルレーヌの家は、ぽつんと建っていた。ヴェルレーヌが妻マチルダと三年の短い結婚生活を送ったのは、マチルダの両親の家。その三階に二人は住んだという。
 結婚一年後、ランボーとともにブリュッセルなどへ駆け落ちめいた旅をする顛末はよく知られていると思う。滞在先のベルギーで投獄されたヴェルレーヌは、マチルダから別居請求を受ける。波乱含みの新婚生活をふりかえりつつヴェルレーヌは、天国のように甘い一年と、それにつづく地獄の一年を経験した、と回想したのではなかったか。
 壁の隅に、だれがとりつけたのか、ランボーのちいさな肖像タイルがあった。

2014年10月21日火曜日

ボルドー、ワイン・シャトー巡り


車窓からの葡萄畑


シャトー・グラヴァ 






樹齢五十年以上の葡萄畑は機械ではなく、人間と馬で鋤く

 ボルドーにきたら、やはりボルドー・ワインの産地にいってみたい。観光局のおすすめに従い、ソールテヌ地方のバルサック Barsac村にあるシャトー・グラヴァChateau Gravasを皮切りにワイン・シャトー巡りをした。お目当てはテイスティング。
 秋の葡萄畑の、黄色から赤、そして黄金のグラデーションが車窓にひろがる。グラヴァ・ワインというと、ギリシアのトカイとともに貴腐ワインの産地として世界的に有名だ。ボルドーのフォアグラとの相性の良さはワインの教科書的セオリーといえる。
 シャトーの案内役、エレナ女史の説明を聞きながら、樽蔵へ。樽はヨーロッパの楢。アメリカや海外産の楢は木の香りがきついのだとか。
 蔵には、オーナーの意向で写真のようにアートが展示してある。グラヴァの葡萄はすべて手摘み。通常は専用のトラクターで収穫するのだが。それでも、今年は不作だったらしい。近年、ボルドーは地球温暖化のせいもあってワイン・グレープの収穫が半減するシャトーもでてきている。グラヴァも悩まされていて、2015年用のボトルはついに写真のような角瓶になってしまった。説明を聞いていたイギリス人女性は「シャネルの香水壜みたいで、なんだかいやね」とこぼしていたけれど。テイスティングもふだんの半分の量。
 とはいえ、最初に2011年、つぎに18ヶ月樽で熟成させたすばらしいワインを味わうことができた。最初は蜂蜜のような濃厚な甘み、ジャスミンのふんわりした香りがつづいて、最後は上品な白桃味が舌のうえに残る。フランスの秋の光を呑んでいるような。

2014年10月18日土曜日

ボルドー、旧市街を歩く


「水鏡」とボルドー市街



大時計 Gross Cloche


路面電車 トラム












 ガロンヌ河に沿って発展したボルドーは、Bordeaux、「水の街」という意味だそうだ。翌日はオフだったので、旧市街を散策。路面電車トラムでHotel de Villeまでゆき、大時計の下をくぐってSt-James通りにでた。
 おしゃれでコージーな店が多い通りで、気に入ってしまった。ハンドクラフトの美しいギターを造る工房や日本食材店 。味のある眼鏡のムシューが手造りしているアイスクリーム屋M & Oで小憩。濃厚な天然蜂蜜のアイスを食べる。エティエンヌによれば市は最近、歴史のある石の建物をクリーニングしているらしい。旧市街は白くてきれいだった。
 ボルドーは人種の渾融のうえでもかなり進んでいるように思える。アラブ、アフリカ、インド、イスラム、モロッコ、そしてアジア人たちの比率も多く、ごく自然にまじりあって暮らしている。差別もすくなそうだ。大きくも小さくもない、パリよりゆったりした都市ボルドーだからこそかもしれない。
 街には本屋も多く、ボルドーワインにこだわってセレクトするコノサーショップがいたるところにある。そして、出会ったバットマン。