2016年9月29日木曜日

Bon Voyage!


   今日からフランス。いってきます!

   業務連絡ですが、帰国は10月10日です。スマホはもっているので、メールはできます。氷川様のお守りも、もちました。

    帰国したら、日本の秋が、たのしみ。

2016年9月28日水曜日

明日からフランス~ブログのお休み


 明日からフランスだというのに、いまも絶賛原稿中、という自分が、信じられない。

 9/29~10/10まで、ブログをお休みいたします。

 フランスのお土産話、ご期待ください。

 See you later alligator!

現代詩文庫『田野倉康一詩集』『広瀬大志詩集』刊行記念イベント開催


 現代詩文庫『田野倉康一詩集』、『広瀬大志詩集』が、ついに刊行!

 両詩集の刊行記念として、きたる10月29日の土曜日、本の街神田神保町の神田古書センターにて思潮社主催のイベントが開催されることになった。

 第一部は、田野倉さんや広瀬さんの詩やおふたりが若き日につくった伝説の同人誌「洗濯船」をめぐっての、若手詩人たちによるトーク。第二部は、田野倉さん、広瀬さんをはじめ「洗濯船」メンバーによるトーク、第三部はポエトリー・リーディングとのこと。
 豪華なメンバーになりそうです。詳細は思潮社公式ホームページをどうぞ。


 ぼくも、第一部のトークに司会で出演させていただきます。ちなみに、第一部のゲストは杉本真維子さん、伊藤浩子さん、高塚謙太郎さん、そして暁方ミセイさん。

 上写真、『田野倉康一詩集』がないのは、こちらも10月20日木曜日スタートの獨協大学「LUNCH POEMS@DOKKYO」の実行委員会に貸し出しているから。
 田野倉さんには、ことしの冬に、ランチポエムズにご出演いただくことになっています。もちろん、詳細は本ブログでもおってご紹介しますね。
 「LUNCH POEMS@DOKKYO」も、ぜひ、乞うご期待を。

2016年9月26日月曜日

新さんま


    
    ちょっとまえのこと。

    岩泉の方から、ことしも、新さんまを一箱いただいた。震災の翌々年から、毎年、欠かさずお送りくださる。

    ことしは、台風で大被害をうけたのにもかかわらず。

    まぶしいほど、きらきらの、さんま。

    刺身でいけるレベルだったけれど、ここは王道の塩焼でいただいた。

    ああ、もう。焼いても煮ても、かがやきをうしなわないはりのある皮、馨、味、すべてが、ぼくの知るさんまとはちがう。
   この新さんまにかなう魚が、はたしてフランスにあるでせうか。いいえ、ないはず   笑

    チーズとバケットの食事に飽きたら、みずからのブログの写真をなぐさめにしたいと思います。

2016年9月23日金曜日

旅行安全




    9月29日から10月10日まで招聘されて、フランスにいってきます。

    ところで、いまニューヨークでも問題になっているけれど、テロが欧州でも頻発している。そのことを安じた妻が、ちかくの武蔵野国一之宮、氷川さまで旅の安全を願いご祈祷をうけたいといいだした。

    台風が通過したあとの秋雨で、荒天だったが、拝殿でご祈祷をうける。
    建て直されたばかりの拝殿は、まあたらし杉の馨がして、清々としていた。たくさんの、七五三祝い。ぼくらは「旅行安全」を祈願したのだった。

    ご祈祷のあとは、久々に大宮の老舗の小レストラン「ハマチョー・カフェ」へ。ビールとミラノ風カツレツ。ランチコースは1400円なのに、前菜、メイン、デザート、ドリンクが、どれもけっこうなボリュームででる。
    高校生のころ、楽器店でバイトをしていたのだが、ここではじめて、仔羊のローストなるものを先輩にご馳走になった。当時はめずらしいイタリア大衆車、フィアット・パンダの後部座席にフェンダー・ベースとショート・ホープのカートンをいつもつんでたっけ。かっこいいひとだったなぁ。
    いまも個性的なお客さんがあつまるお店だけれど、絵描きに演劇人、バンドをやっている大人たちが、安くておいしいハマチョー・カフェによく来ていた。大宮モンパルナスがあるとすれば、ハマチョー・カフェだとぼくは思う。

    妻はご祈祷ですっきりしたらしく、もりもり食べていた。

2016年9月19日月曜日

赤阪友昭「passage to Haida Gwaii」展


    一昨年、大阪は福島区の「フォトギャラリー・サイ」にて、二人展をご一緒させていただいた写真家の赤阪友昭さんから、新個展のお知らせがとどく。

    「ハイダ・グワイへの道」とも訳せそうな、この個展。カナダのハイダ・グワイは、ことし没後二十年をむかえる写真家、星野道夫ゆかりの土地。9月23日から、フォトギャラリー・サイさんで開催の予定だそう。
    詳しくは、こちらを。


    この展示は、雑誌『coyote』の取材で撮影された作品がもとになっていて、東京でもおこなわれている一連のイベントと連動しているらしい。雑誌『coyote』の刊行イベントも、9月21日に池袋ジュンク堂で開催されるとの由。


    星野道夫の道を歩く、赤阪友昭。これはもう、運命としかいいようがない。

    なんにせよ、友さん、おめでとうございます!

2016年9月17日土曜日

見沼の秋




    夏のつかれがでたのか、たちのわるい風邪をひいてしまった。でも、フランスへ旅立つまえに詩の依頼を二本いただいており、緑茶を大量に飲みながら、原稿用紙にむかっていた。午前に一篇、午後に一篇。無事、赤ポストに、コトリ。

    夕方、そのまま散歩にでると、見沼の空は、秋。

    朝、通勤につかっている「桜回廊」を歩いていたら、ヤブカンゾウが群咲していた場所に、ツユクサがたくさん咲いていた。散歩者もいない早朝だったから、あたり一面に、ちいさな星屑のような花々の繊細な馨がみちていたっけ。

    ぶらぶら歩いていたら、たくさんのケイトウが咲いている。どなたの畑なのか。花の形も色もとりどりで、こんなにたくさんの種類のケイトウを見たのは、はじめて。

    間をおかず、彼岸花も咲くでしょう。

    春は足音、というけれど、秋は静かにやってきて、花をつぎつぎと咲かせては、魅せてくれる。

2016年9月14日水曜日

九月の骨董〜オランダの古タイル


      一九七〇年代のはじめ、詩人の安東次男氏は『芸術新潮』のもとめで『拾遺亦楽』という連載をしたことがあった。
    毎月、五万円の枠内で安東氏がジャンルを問わず骨董を贖い、その一品について文章と写真で紹介するというものだった。
   いま『拾遺亦楽』をひもとくと、そこには絵唐津とくり、だの、初期李朝の水滴、だのがならんでいる。当時の五万円。サラリーマンの初任給が約四万円だった時代なので、まあそれ以上ということ。日用のものであれば、たしかに、買えない額ではない。

     写真の十四世紀デルフトタイルは、招聘されてはじめていったアムステルダムのアンティーク店で買ったもの。

    日本にもときどき仕入れられるデルフトタイルやイギリスタイル。レンブラントの絵画にも登場するが、豪邸の台所や寝室に壁紙がわりにもちいられた装飾タイルで、ブルー・アンド・ホワイトが基本だけれど、多彩色のものもあります。西欧では、雑器で、色数が多いほうが価値があがるかな。勝見充男さんや坂田和實さんの本でもとりあげられているけれど、意匠としては、草絵など、紋章ものが多いですね。

    ぼくのデルフトタイルは、貴族か上流商人が縄跳びをしている遊びの情景。白デルフトのなめらかでやわらかい光沢、とろっとかけてある斑な釉調も好きですが、ブルーの釉薬でえがかれた線が、なんとも寂しくて、好感。西欧の美的感覚としてはめずらしく、空白をたっぷりとって、ちょっと東洋的な雰囲気があるというか。

    あと、薄いのもいいですね。西欧の古タイルは、大抵が、どっしりとぶ厚いので。チーズやサラミをのせたりと、ふだんのつかい勝手もいいのです。これまでいくつか古デルフトタイルを手にしたけれど、これが一番好きかな。
   いまの時季、初秋の光と寂しさを味わいたくて、壁にかけたり、ウィスキーのおつまみを盛ったりしています。

    七〇年代の五万円の価値はもとい、いまの五万円でもきついけれど、これから毎月、骨董とは名ばかりのガラクタを、恥をしのんで自己紹介できればと思います。
    いつまでつづくか、サイフの中身はだいぶ心許ないけれど。最近は、骨董やや市に、だいぶ足が遠のいてしまっているので、まあ、自分が骨董市に毎月通う口実には、なるかもしれません。

2016年9月12日月曜日

九月の詩書〜高岡修『胎児』


 妻から、「これじゃあトラヴェリング・ソングじゃなくて、タベリング・ソングよね」といわれてしまった。だから、というわけでもないのだけれど、本ブログもコンテンツの多様化をはかることにしました。毎月、先月に刊行されたおすすめの詩書を一冊、ご紹介しようと思います。

 先月、鹿児島の詩人、高岡修さんから新詩集『胎児』(ジャプラン)をお送りいただいた。高岡さんには、昨年末の「国民文化祭 かごしま2015」で大変お世話になった。それとはべつに、高岡氏は、ぼくの年来の詩の先輩であり、毎回、詩集の刊行をたのしみにしている詩人のおひとりだ。

 高岡修さんの十六冊目の詩集となった、連作詩『胎児』。読後、十六冊目の詩集にして高岡さんのまた新たな詩境を瞥見でき、とても興奮した。

 以前の高岡さんの詩には、生者と死者の世界が詩的言語を媒介に鮮やかに交流し、循環する、独位の詩世界があった。それは『胎児』においてもおなじなのだが、これまでの高岡さんの詩の言葉は、故に、現実を切開して夢にまでとどく切れ味するどい観念の詩だったと思う。

 『胎児』は、タイトルが語るように、匿名の胎児の着床から出産までをモティーフにした「無」から「25」までの二十六篇の連作詩なのだが、これまでの高い観念性は詩の内襞にしまわれ、より具象性を前面におしだし<世界>に寄り添う詩語で書かれている。


受精から三ヶ月も過ぎると、
君は、
味覚という、
とても不思議な感覚を身につける。
舌が生えてくるのだ。
君は舌なめずりをしたり、
しきりに舌づつみを打ちはじめる。
ときに君は、
喉を大きく鳴らし何かを飲みこむ所作もくり返すが、
しかし、
まだ、
君の喉を通過しているものは何もない。
                  (「6」全行)


 ここに引いた詩行だけでも、高岡修が、ここまで具象的な詩語で書くとは、と驚いてしまう。けだし、生命から糧をえる食事、そして言葉を学び覚え駆使するための「不思議な」両根源器官がいまだ無のままであり、無垢であることが、さりげなく詩行の水面下には織り成されている。
 胎児は、われわれの視線と言語によって認知された瞬間からすでに世界の一部として存在をはじめるが、未生、つまり世界への途上にある存在でもある。胎内にいる胎児を外部から観察するとき、それはまぎれもなくリアルな存在だ。でも、引用部のごとく、胎児の感覚と知覚をとおせば、世界も自己もかぎりなく無であり、アンリアルかつヴァーチャルでもある。
 これまで高岡さんが好んできた「死児」から、「胎児」への主題の移動は、この存在しつつ存在しない、人間がかならず一度は喪失する存在の途上性や中間領域にも、詩的関心が高まったということなのかもしれない。

 こう書くと、(ぼくのせいで)なにやらムズカシイ文学的な詩を彷彿させるが、ぼくは、この詩集、ぜひ妊婦さんに贈りたいのだ。あざとい生命賛歌よりも、この詩集のほうがずっと人間として生まれる不思議、生きてゆく勇気をつたえてくれると思う。

 つづきは、ぜひ、最寄りの書店で、もしくは鹿児島の書肆ジャプランから『胎児』をとり寄せてお読みいただきたい。あんまり書くと、書評の仕事がこないので。もう、遅いか 笑 

 ちなみに、いつも書斎代わりにしている喫茶店で撮影した上写真、『胎児』のカバーは羊水に濡れたような琥珀色をしている。でも、実物の色味は白銀。前回、国民文化祭で高岡さんとお会いした折、高岡修さんが多くの詩集を刊行されている書肆ジャプランから、詩集のための叢書シリーズを新たに企画されているというお話をうかがっていた。『胎児』はその「詩の、新しい岸辺」シリーズの二冊目らしい。一冊目の『桑鶴翔作詩集』も、ぜひ読んでみたいものだ。南日本から刊行される詩の新叢書に、これからも注目したい。

 さいごに、詩人であると同時に俳人でもあられる高岡修さんは、ことし、現代俳句協会賞を受賞された。ほんとうにおめでとうございます。
 この場をかりて、お慶び申し上げます。

2016年9月10日土曜日

ゴッホがうなったカラシ




     今月末から、フランス。そういえば、、。

    七月にワタリウム美術館で開催された、吉増剛造イベント。そこで、ぼくとセッションしてくれたギタリスト、石井草実さんから、お土産をいただいていた。

    それが、写真の「ABBマスタード」笑。

    昨年から今年にかけて、石井さんはドイツのデュセルドルフに滞在していたのだが、このマスタードは、デュセルドルフ名物らしい。かのゴッホが、あまりにおいしいのでデッサンしてしまったのだとか。

    めずらしく呑み残したビールがあったので、三元豚の肩ロースの塊を買ってきて、ビール煮をつくってみた。

    これに、ABBマスタードをつけてみる。

    日本の、洋がらし=黄色、という概念はともかく、つんとした辛子のキックは毛頭なく、適度な酸味とチョコレートのようなまろやかさがある。たしかに、名脇役。
    豚の脂の馨と旨さを殺さず、ぐんとひきたてる酸味とほのかな辛さは、きっと、本場のソーセージとあわせたら、抜群だろう。どんな香辛料がブレンドされているのかわからないけれど、ひかえめながらしっかり効いたスパイスの馨が、とにかく、いい。

    ゴッホが気にいったのも、わかる。というか、やはりゴッホという画家はグルマンだったんだなぁ。ぼくがこう書くのもなんですけど。このマスタード、日本でも販売しているのかな。

    ちなみに、ぼくのビール煮にはコツというものはないのだけれど、煮るときに肉をしたに、大量のタマネギをうえにしてルクルーゼでことことするくらい。そして、煮上がるまでは、けっしてかきまぜない。
   そうすると、二時間煮てもタマネギがくずれたり溶けたりせず、エキスが雑味なく肉に浸透するかんじがします。今回はきのこをいれましたが、ふだんはタマネギだけです。
    
    こんど、浦和の軍鶏や、田楽に持ち込んで、軍鶏の手造りソーセージと、あわせてみようかしらん。

2016年9月8日木曜日

那須で森林浴




   前回のつづきです。

   翌朝は宿泊先のある森を散策。白樺、楓、漆、緑のトンネルになった林道を、コーヒーと天然酵母パンを手にぶらぶら歩いた。
   野鳥たちの歌、風と葉擦れの声をききながら、しばし、林道にたたずんで朝食。濃い緑の馨がふってくる。

    立派な山ぶどうを見つけた。

    子どものころ、雑木林や屋敷森の多い見沼にはあたりまえのようになっていた、山ぶどう。
    秋の舗道には、たくさんのワイン色の染みがついていたものだ。それらは子どもたちが道にたたきつけて遊ぶ、山ぶどうの散弾で、壁や服にくっつけると、ものすごく怒られたっけ。
    そして、いま、緑ゆたかな見沼でも、だんだん山ぶどうを見かけなくなってきている。

    このあまりに鮮やかなオレンジのきのこは、なんだろう。エノキダケのようにつやとぬめりがあるけれど。

    直径が十五センチぐらいあるきのこも見たが、『山渓カラー図鑑    日本のきのこ』で照会しても、まったくわからない。
    那須の細竹では、そばやうどんつゆにいれて食べるとおいしい乳茸(ちたけ)というきのこが、重用されている。傘をわると、乳液のような汁がでてくるのだが、ソテーにして食べても、おいしい。
    もう亡くなってしまったが、きのこ採りをよくするおばあさんがいて、秋には乳茸、春はアミガサダケを採ってもらったことがあった。見目は不気味だけれど、採れたてのアミガサダケの天ぷらは、松茸も青褪める旨さ。フランスやイタリアでは、モレル、といって高級品なのだ。いつも、頭のよさそうな芝犬をつれていて、手編みの蔦籠に何種もきのこをいれていた。自分でも自信のない個体は、毒きのこかどうか、愛犬に嗅ぎわけてもらうのだそう。
   きのこの個体から種別を見分けるのは、まさに差異が戯れているようで、素人にはとてもむずかしい。でも、いつか、きのこを独力で採れるようになりたい。きのこに詳しいひとは、それだけ、ゆたかな山林と間近に暮らしていた証左だろう。

    自然とともに生きる感覚をささやかながらとりもどした、つかのまの森林浴でした。

2016年9月6日火曜日

那須で湯治



    週末はドライブしながら、那須湯本へ湯治と森林浴。

    八月は、ほとんど休みがなかった。
    
    九月末からはフランスへ招聘されているので、妻と休みをとろうと思いたったのだ。

    東北自動車道を約二時間。それから、那須街道をあがって、山あいをドライブしながら展望を楽しみ、かの殺傷石に到着。
    九尾の狐さまにお会いしたくなったのだ。

    硫黄が吹きでる殺生石のまわりのほか、谷は緑なりき。涼がよくて、もう秋なのに、紫陽花が花をつけている。
    陽のささない山道に咲く紫陽花はちょっと不気味で、そんなところが妖精譚の地、ヘヴリディーズ諸島を思い出させた。

    楊貴妃、玉藻の前に化け、稀代の悪女としてその名を後世に馳せるお狐さまに、いい詩が書けますように、とお詣り。

    つぎは下写真、鹿の湯で湯治。

    お湯はまっしろに濁っている。かなりつよい硫黄臭。湯温は四十八度で、ぴりりと肌をさす刺激的な熱さ。源泉の温度は六十八度あるという。ストロングスタイル、本物の温泉。

    夕食は宿泊先で自炊。かんたんにサラダをつくり、ミディアムレアにステーキを焼く。ほんとうは、那須牛がよかったのだけれど、人気がでてしまって、地元スーパーではなかなか売っていない。
    家から、秩父のシングルモルト・ウィスキー、イチローズ・モルト17年シングルカスクをもってきていた。最初はハイボール、それからストレートで呑みつづける。鈴虫と蝉が交互に、盛大に鳴いて。季節の谷間でも、グラスをあげる。

    翌朝は、二日酔いもなく、すっきり目ざめる。温泉の効果か、お狐さまのお力か。

2016年9月2日金曜日

詩人たちの「輝け九条」


 フランスのマンシュ県(ノルマンディー地方、モンサンミッシェルに近い)で開催された「Live sous les pommiers 2016」に出演したジャズミュージシャン、アルトサックスの巨匠、デヴィッド・サンボーンがマイクをにぎってこういった。

「I've never been this part of France before, but here is just fxxkin' gorgeous.  Now things in America are going pretty awful. I am glad to come over here.」

「フランスのこの地方に来たのは初めてなんだけど、ここはたまらなくいい所だね。いま、アメリカでは様々な事柄がほんとうに悪くなってきている。ここに来れて嬉しいんだ。」(拙訳)

 まったく、おなじことを、ぼくも日本についていいたい(ライブでもシャイ故か、ほとんどMCをしないミスタ・サンボーンだから、印象的だった)。

 「「九条の会」アピールに賛同する詩人の輪」から、甲田四郎氏を実行委員長に、改憲に反対する立場から開催される「輝け九条!詩人のつどい」へのご案内をいただいた。

 来る10月2日日曜日の午後一時から、板橋区立ハイライフプラザ(東京)ホールで開催とのこと。

 詩朗読には、石川逸子さんをはじめ、佐川亜紀さん、原詩夏至さんの名もエントリーされている。

 ぼくもかけつけたいが、その日は詩の仕事でフランスにいます。

 ご興味のある方は、ぜひ、ぜひ。