2014年12月19日金曜日

詩人のクリスマスプレゼント?


 フランス執筆滞在や他の渡欧の機会に購ったお土産。明日、十二月二十日の和合亮一さんも出演する赤坂「6次元」でのポエトリーイベントで、久しぶりにお会いする詩友の方々にプレゼントしようと思っていた。
 ぼくも出演をオファーされていたのだけれど、仕事の関係でどうしても都合がつかず、今回は見送らせていただいた。プレゼントは郵送することに。中身はパリで「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」に立ち寄ったときに買った限定グッズなどなど。書店の常連だったアーネスト・ヘミングウェイの言葉「There is no friend as loyal as a book」がプリントされたバックもある。
 もっと早くお送りするべきだったのだけれど、クリスマスプレゼントのタイミングになってしまった。イベント、ぜひお越しください。そして、出演者のみなさん、ご成功をお祈りしています!

2014年12月17日水曜日

木村友祐さんの『聖地Cs』


 年が明けるまえに、ぜひこの本については書いておきたいと思っていた。今年の秋のはじめに刊行された木村友祐さんの小説集『聖地Cs』(新潮社)は、すでに各方面で話題になった本。ぼくも『現代詩手帖』12月号アンケートなどでおすすめしていた。
 本の帯に「震災後文学で最高の一冊」と星野智幸氏がコピーを書いているのだが、異論はない。ぼくはふだん国内外のミステリ以外はあまり小説を読まないのだけれど、この本には衝き動かされ、いまも伴走してもらっている。
 東北を考えるとき、想うとき、詩に書くとき、詩と小説というジャンルのちがいはあっても、ぼくにとって『聖地Cs』は大切な本だ。技法やモティーフを学んでいるのではない。表題作の「聖地Cs」は原発事故後に遺棄された牛たちと人間、東北の内外の存在が入れ子構造のように出会いながら、より外部に広がる社会と世界の不可視のデザイン(構造)に立ち向かう。その大きな構築力は、やわらかな語り口ながら強靭に練り上げられた文体によって支えられている。しかし、この本は魅力はそういった「小説的」な問題や美には、おさまりきらないと思う。
 ぼくにとっては情動の問題なのだ。詩でいえば、抒情の力、というべきか。
 世界のちいさな/大きな残酷さや理不尽さ、暴力とふれあわざるを得ないとき、この言葉があれば、もうすこしがんばれる。それが本来の、本の力ではないだろうか。だから人にとって、本は内密で大切な世界だ。エンタメや文学に閉じきらない、『聖地Cs』にはまだそんな遠い場所が存続している。派遣社員、格差社会をとりあげた「猫の香箱を死守する党」にもある。ぼくらは「いま=ここ」の生を書きとるために、日々、詩や小説を研究している。でもそれがほんとうに実現しそうになるのは、いつも詩や小説を越えて架かる紙のブリッジが生まれたときだ。情動について書こうとすると、ぼくはいつもうまく書けない。それは世界が在ることについての、信仰を語ることにも似ている。
 青森県八戸市生まれの小説家、木村友祐さん。ご本人には、何度かお会いしたことがある。控えめで、言葉数がすくない木村さんが、そのやさしげなマスクのしたで、じつは骨太な「王道の小説家」であったことが、むやみにうれしい。

2014年12月16日火曜日

吹き飛ばすための筑前煮




 衆院選挙から一夜明け、安倍政権と自民党が不戦勝。投票率は戦後最低を更新。原発問題は、秘密保護法案は、どこへいった?七百億円以上の血税で無意味な解散総選挙をやっておいて、いったい東北被災地をはじめ、全国に公立学校が何校建つだろう。何千人の教師が雇えるだろう。介護費用も引き下げられている。
 テレビを見ていても哀しく、不快だったので、こんなときは手のこんだ肴でもつくろうと冷蔵庫を見たら、ちかくの農家さんからいただいた野菜が多くある。そうだ、ひさしぶりに筑前煮をつくろうと、ルクルーゼを棚からおろす。
 レシピは瀬戸内生まれの料理研究家・濱田美里さんに教わったもの。アゴだしをつかう。そういえば、詩人の高橋睦郎さんは九州の生まれ。子ども時代の得意料理は筑前煮だったとお聞きしたことがある。
 ぼくなりのこつとしては、炊くときに蓋(落とし蓋も)はしない。まず熱湯で野菜と鶏肉のぬめりを除いた後、煮汁が半分になるまで強火で野菜を炊く。半分になったら鶏肉を入れ、さらに強火で煮汁がからまる程度まで煮詰めて完成。煮炊きの時間はせいぜい二十分程。このほうが長時間煮るより、味が染みるのだ。
 おいしそうにできたら、市川孝さんの鉢に盛り、上泉秀人さんの白磁盃で晩酌。おともに、秋山十三子氏の名エッセイ『おばんざい』をひらいた。

2014年12月12日金曜日

ダヴィッドの筒茶碗





 フランスはラ・ボーヌの陶芸家、ダヴィッド・ルーボーさんから白磁の筒茶碗をプレゼントしていただいた。フランスではこれで紅茶やカフェオレを飲むのだろう。とりあえず、ぼくは母に茶室で一服たててもらう。
 信州、釜山などで修行しただけあって、オリジナリティーをひきだしつつ、茶事にもちゃんとつかえる抹茶碗になっていた。カメラのせいで青みがかってしまったけれど、あたたかい肌合いの白磁で、釉薬は黒田泰三氏から習ったとか。母によると、すこし高台は低いけれど持ち手は具合がよろしいとのこと。
 日本の作家の茶碗とくらべると、やはり洋風、フランス味があって、新鮮な気がする。花器には、母が庭のヤブツバキ(侘助)とイトギク、リョウブを活けた。ダヴィッドさんの白磁筒茶碗は、ときどき気軽な自服でつかわせてもらおう。 

2014年12月11日木曜日

父と酒




 心臓をわずらった父が退院した。酒が好きで、ぼくとは毎晩のように呑んでいた。その父が、すくなくとも一年、酒が呑めない。
 ぼくも禁酒につきあおうと思っていたのだけれど、まあ無理な話です。胸の内で「ゴメンネ」とつぶやきながら、ちかくの農家さんからいただいた初物の衣かつぎを秩父の酒でいただく。「きぬかつぎ」とは、お正月のおせち料理などで食べる八頭の小芋(うちの近隣では里芋ではない)。中身が里芋より褐色でねっとりと濃厚なのだ。盃と片口はふだんづかいの額賀章夫のもの。それと古伊万里小皿。晩酌はもう十五年、この組み合わせ。
 仕事で新橋によく行っていた父を、小津安二郎が通っていたバー「ジョン・ベック」にいつか連れていきたかった。浦和の田楽も、まだいっていない。
 またいっしょに呑める日が、くるといい。

2014年12月9日火曜日

「虚空」に詩が掲載


 「虚空」という詩誌に、「ベートーヴェンの補聴器」という詩を寄せました。「虚空」は詩人・小宮壱雄氏をはじめ、歌人、俳人たちが集う詩誌。ユニークなのは、同人がお坊さんという、仏教的ポエトリーマガジンだということ。
 ぼくの作品は、ウィーンにある「パスクヴァラティハウス」(ベートーヴェン記念館)に通った体験をもとに書いた詩。そういえば、今日、たまたまシューマンの心臓が五十年ぶりに調査された記事が朝日新聞に載っていた。
 機会があれば、ぜひお手にとってみてください。

2014年12月6日土曜日

もう師走




 フライング気味に風邪をひいて寝込んだと思ったら、父が急病で倒れて入院。ペンと原稿用紙を持って、病院と喫茶店とデスクの前をぐるぐる通過する日がつづく。気がついたらブログを更新できずにいた。
 そんな日常で、おだやかな気持ちになれたのが、意外にも大学の授業だった。早大の創造理工学部でぼくが教えているのは、戦後から現在までの詩の歴史。田村隆一からはじまって、いまは湾岸戦争下の吉原幸子、そして吉田加南子氏の詩をとりあげたところだ。某社から刊行予定の評論集の準備もあって引き受けた連続講義だけれども、九十分間、ただひたすら学生さんの前で好きな詩の話をすることが、気分を落ち着けてくれる。
 大学って、じつはとても静かな場所なんですね。帰りはちょっとだけ池袋に立ち寄る。池袋には二年間程、居合道の稽古に通ったことがあった。ここ十年、あまり来ることがなかったけれど、どなたかいい喫茶店を知りませんか。