2013年12月25日水曜日

管啓次郎さんとの対談 in Shimokita


12/20の夜
詩人・比較文学者の
管啓次郎さんの
お誘いで
下北沢の書店
「B&B」で
対談・朗読イベントに
出演させていただいた。


左:石田 右:管啓次郎さん

管さんの
新刊エッセイ
『ストレンジオグラフィ』
(左右社)
刊行記念イベントは
旅と詩をめぐる
話がテーマ。

『ストレンジオグラフィ』
とは
Strange+geography。
とても不思議な書物だ。
詩人の旅の記録
であり
比較文学、環境学
批評と哲学が
渾然一体となった、
詩的想像力の
地理学とでも
いうべき本だと思う。

詩人としても
とても
広やかで
大きなスケールを
もっている
管さん。
『ストレンジオグラフィ』は
世界中
風が吹く場所を
求めて、
犬のように
自由に
あてどなく
歩いていく言葉
によって
文明と自然
情報化社会と現実の
関係性を
問いかけ、
ぼくらに新たな
クリエイティビティー
とはなにかを
問いかけている。

ぼくは
この本を読んで、
詩を書くことは
自由でいいんだと
あらためて
気づかされた。

諸ジャンルの
クリエイターの
創造性も
刺激してやまない
本だと思う。

(ストレンジオグラフィは
だれにでも
実践可能な
心の地図の
組み替え方だ)

ぼくにとって
管さんは
いま、とても
大切な詩人。
シンパシーと
いったら
僭越だけれど、
ぼくが詩で
やりたい仕事を
先の先まで
されている気がする。

フリーな精神と
柔軟な思考
言葉の
実験にみちた新詩集
『時制論 Agend'Ars 4』
(左右社)は
まさに
その詩的実践だった。

(「現代詩手帖」
2013年12月号の
アンケートでは
この詩集の存在を
まだ知らなかった)

対談で管さんは
「旅は観念にすぎない」
「旅なんてものはない、
自分がいるところが
旅です」と
語っておられたが、
前詩集
『海に降る雨Agend'Ars 3』
(左右社)に
「昨日は死んだ鹿を
一晩中なでていた」
という
印象的な
フレーズがある。

それは、
『ストレンジオグラフィ』の
ひとつのパート
「生きた鹿、
死んだ鹿」で
書かれていた
鹿だろうか。

(管さんは旅先の
北海道で
交通事故に
あったばかりの
雌鹿と遭遇した
エピソードを
書かれている)

管さんの
詩やエッセイには
他者としての
生命にたいする
慈愛のまなざし
精神の
エコロジーが
きちんとある。
ぼくは
このエピソードが
大好きだ。

(このパート、
会場でぜひ朗読
したかったのだが、
流れに乗れず
ご紹介できません
でした。
よって、ここに
記しておきます)

対談中
「ぼくは現実から
出発する抒情詩を
書きたい」と
おっしゃられた
管さんの
詩とエッセイ。
現実から
出発してはいても
いつのまにか
見たこともない
モザイク化した
現実と心の
ストレンジな
地理へと
着地している。

日常の「情」を
こえて
「非情なストレンジャー」
詩人=旅人の
まなざしから
発露する「情」。

それは
ぼくらが生きる
いま=ここの
とっても
奇妙で
愛しくも悲しい
spectacles
だと思う。

イベントの最後に
ぼくは
その日の朝に
書いたばかりの
管啓次郎さんに
捧げた詩、
「レニングラードの
ストレンジオグラフィ」を
朗読した。

(12/27以降、
詩人・森川雅美さん
主催の
詩歌と俳句の
ウェブマガジン
「詩客」に
アップの予定です。
http://shiika.sakura.ne.jp)


会場には
小説家の
古川日出男さん
夫妻、
アメリカ現代詩
研究の
遠藤朋之さんを
はじめ
たくさんの方々に
ご来場いただいた。

心から
お礼を申し上げます。

それと
管啓次郎さん、
素晴らしい
お話と時間を
ほんとうに
ありがとうございました。

お店のセンスも
本のセレクトも
ピカイチ
のみならず、
店内で
ビールも呑める
「BOOK & BEER」の
みなさま
ありがとうございました。
古着を
ひやかしながら
また
遊びにゆきます。

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