2016年5月23日月曜日

種子島の時間4〜千座の岩屋




   先週、フェリス女学院大学の講義で金子みすゞの「辨天島」をとりあげた。

「あまりかはいい島だから
ここには惜しい島だから、
貰ってゆくよ、綱つけて。」

   金子みすゞは故郷の山口県下関、仙崎湾にいまもある弁天島を「かはいい」と形容した。
    ぼくは十年ほどまえ、金子みすゞの取材で仙崎を訪れたことがある。弁天島は、ひなびた漁師町のほんとうにかわいらしい小島だった。みすゞさんの詩のとおり、弁天島の地上はこんもりと緑の灌木におおわれている。

    講義をしながら、ぼくは南種子の浜田海岸にある「千座の岩屋」(ちくらのいわや)を思いだした。

    千座の岩屋は、浜辺の大岩が永年の荒波に削られてできた海食洞。このちいさな洞穴に巫女が座り、洞内から見える奇岩、というか島々と海を神として礼拝したのだという。残念ながら、その島々の、神さまの名前を知ることはできなかった。
    千日座す行があった、あるいは窟内にはいちどに千人が座れた、という説が名の由来だそう。現在の岩屋には、千人も座れそうにない。自然がつくったちいさな聖地、霊廟だ。

    岩屋は満潮になると海没してしまうのだが、なんとか間に合う。
    ちょうど、誰彼時。
    海と浜辺、荒々しい姿の岩屋とそこから見える島々すべてが、黄金色から青灰色の光に不意に染まった。あたりは急に、神秘的な気配につつまれてゆく。潮風がすぅーっと冷えて、澄む。妻もいたく感動している。

    ちなみに、ぼくは上写真の千座の岩屋の入口を見たとき、出雲の「もうひとつの黄泉比良坂」、出雲国風土記にも「.黄泉の穴」と記されている、猪目洞窟(平田町)の入口にそっくりだと思ったのだった。

   折口信夫は『琉球神道』のなかで、「島台を据えて神の飾りとする」と書いていた。いまも昔も、海辺の民にとって島は神なのだと思う。

    旅から帰ったいまは、南種子と琉球と仙崎をむすぶ「海の道」を夢想して楽しんでいます。島の神秘に、すこしだけふれることができて。

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