2016年10月27日木曜日

机辺のモノたち2〜銀のボールペンとノート





書くときは、手書き。PCは苦手でつかいません。

 詩も散文も、第一稿はノートにボールペンで。基本的に、詩は満寿屋の名入り原稿用紙に万年筆で清書、散文はノート稿をPCで清書してもらいます。最近は原稿用紙に万年筆一発で書いたりもしますが。ブログはスマホで。

 ぼくは外出先や散歩の途中で書くことが多い。いまはちがうかもしれないが、ノートPCは携行には重いし、原稿用紙を喫茶店や野山でひろげたくない。ノートにボールペンが見目・質量ともに、軽いし、いいのだ。この書くときに軽いという感覚、詩には大切な気がしている。

 いまつかっているノートは、フランスのスーパー「カルフール」でまとめ買いした方眼罫の学習ノート(フランスではカイエという)。縦書き(タテ置き)で使うと、一行16文字、一頁21行。このマス目のリズムが、ぼくにとって、詩を書くのにも、散文を書くのにもここちよい。

 ボールペンは純銀軸のカランダッシュを、約二十年間、愛用している。ボディにケルト文様が彫金された、デッドストック・モデル。ぼくは華美で装飾的なペンは好まない。リフィルは太字のブルー。
 商業ライターの初任給で買ったのだが、ぼくが自分で購入したペンはこれくらい。ほかは折々にいただいたものばかり。本の街、神田神保町の名物筆記具店「金ペン堂」、その先代のご主人にすすめられて買ったのだ。

 いまでも覚えているけれど、クロスかなんかのボールペンを買おうとしたら、「これにしておきなさい。鉛筆とおなじ六角形のペン軸がいちばん書きやすい。軸がメッキなのはだめ。これは銀だから、多少汗ばんでもすべらない。私もこれしかつかわないから」老眼鏡から上目遣いにギロッとやりながら、おっしゃられた。店主の胸元には、純銀のカランダッシュが二本も柔らかく輝いている。以来、書き味も、手触りもいまだに飽きがこず、愛用している。たくさん書いても肩が凝らない。

 ぼくが書く時と場所に、このペンはいつも寄り添ってくれた。海外での仕事のとき、万年筆は飛行機内の気圧変化でインクが漏れてしまうし、原稿用紙はすぐに足りなくなる。もし、旅先で詩が書きたくなったら、ノートを一冊買えばいい。

 ぼくの机辺で、この銀のボールペンが長年の功労者だと思い、今回、ブログにださせていただきました。

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