2016年7月6日水曜日

詩人とカバン


   スタイリストの馬場圭介さんと文化学院でトークをしたとき。馬場さんいわく、「なんで日本人とアメリカ人はトートバッグがこんなに好きなんだ?って、海外にいくとよく訊かれるよ。ヨーロッパ人にとっておしゃれ着とトートは矛盾するからね」。

     たしかに。ぼくはドイツ人の友人から、日本のビジネスマンはショルダーバッグをよくつかうけど、ドイツ人にとってはヘンなことなんだ、といわれたことがある。
    ドイツでは肩掛けカバンは女性がつかうもので、男性は手提げカバンがふつうなのだとか。いまは、ちがうでしょうけれど。

    三月に京都バルで、写真のバッグを見つけた。イタリアのブランド、マルニが吉田カバンとコラボしたポーター・ヘルメットバッグ。
    最近、都内での仕事はもとより、大学でも講義をするので、容量のおおきいバッグがほしかったのだ。
    カッコよくて、すぐに店員さんに値段をきく。しかし、日本製のポーターにしては、けっこう高い。即買いはためらわれた。

    さいたまに帰宅してからも気になっていたので、惚れた弱味と思い、新宿伊勢丹のマルニにゆく。ところが、売り切れらしくて、結局、京都バルから取り寄せてもらったのだった。

    このマルニ・モデルは、スイスのデザイナー、コンスエロ・カスティリオーニ氏のデザインで、ちょっと北欧モダニズムの香りがする。さわりごこちのよいポーター・オリジナル布は立体裁断。本もゲラもたくさんはいるし、丈夫で雨に濡れてもいいし、気にいっています。

    カバンといえば、ぼくの周辺だと、詩人の城戸朱理さんはプラダのバッグをとても素敵につかいこなしている。バックパッカー詩人の管啓次郎さんは、おおきなバックパック以外、バッグをもっているところを見たことがない。
    面白かったのは、吉増剛造さんのバッグ。外見はノーブランドのトートだが、なかにはペンや本だけではなく、鉄板やトンカチがはいっている。なんというか、吉増さんの場合、ちいさな詩の工房が、そっくりトートに収載されているかんじだ。こんど、ほかの詩人にあったらバッグと中身を見せてもらおう。

    でも、詩人なら、できればバッグはもちたくない。手ぶらがいい。タバコと小銭だけもって、下駄ばきで野原や下町を散歩し、帰りは町の居酒屋か中華料理屋で呑めばいい。

    いつか、ぼくもバッグをもたずにすむだろうか。たったひとつ、いいことといえば、スコッチのボトルや旅盃を携行できることだろう。

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