2016年7月5日火曜日

UK現代詩と国民投票



    来年になるとは思うけれど、某誌によるイギリス現代詩の特集号を手伝っている。

    T・S・エリオット賞の候補にもなった、イギリスのベテラン女性詩人、ジャッキー・ウィリスから直に伝授された、いま読むべきイギリス現代詩人たちのリスト。写真はジャッキーの直筆メモです。

    翻訳や打ち合わせも、すこしずつ、すすんでいる。

    イギリスといえば、先日のブレグジット(国民投票)により、まさかのEU脱退をした。見込みよりだいぶ下回ったとはいえ、投票率は72.2パーセントだったという。イギリスの若手詩人は、どう考えているだろうか。これからのヨーロッパを問うためにも、UKから目がはなせないと思う。

    ことしは多忙すぎて、なかなか海外にいけない。さらに、もはやテロも対岸の火事ではないわけで、日本企業も海外への出張渡航を規制しはじめている。
     日本でもあと数日で参議院選挙がはじまるが、とくにぼくの年齢層、四〇代とその下の世代の投票率が、かなりひくまりそうだとの予測もあった。これにたいし、団塊の世代の投票率は高いとの予測。数字でいうと、ぼくらは団塊世代に政治的意思決定において、従属することになる。
     今回の第二四回参議院議院通常選挙は十八歳以上から投票できるが、教育的準備も心構えもないのに、大人たちから急に選挙に行けといわれても、反発を感じると思う。

    ぼくは高校生の一年間をアメリカですごしたのだが、カリフォルニアの高校生、九から十二学年生は、現代社会の授業が必修になっており、大統領選についてのディベートや模擬戦をするなど、三年間かけて有権者としての自覚を培っていた。
    ヨーロッパ各国でも選挙や軍備はもちろん、教育、医療、福祉、社会保障、納税の周知における現代社会教育に力をいれており、高校卒業後、社会にでても困らないよう教育がなされるという。

     日本は?

    選択制という口実はあっても、現代社会も、ついでに現代詩も、日本の教育カリキュラムのなかでは不在にひとしい。非正規雇用が増大するいま、納税や福利厚生について、具体的に学んだことがなければ、無論、納税の義務も仕方もわからないだろう。

    日本国憲法で「戦争の放棄」をかかげる第二章、その第九条が形骸化され、第三章「国民の権利及び義務」第一三条「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」から、「個人」という言葉が削除され、「人」に改変されようとしている。
    だいたい、「人の尊重」とは、なにを意味する日本語だろう。動植物より人を尊重するということか?個人ではなく、「すべて国民は、人として尊重される」とは、一体全体、なんのことか、意味不明だ。いくらなんでも、日本語として、無理がある。日本語として曖昧なら、条文そのものが改変される隙もできよう。個人より、人の集合体としての国家が尊重される条文に。

    もし、法を抹殺する者があらわれるとすれば、それは犯罪者であることよりも、守る価値のない法を生みだす者だ。そう説いたのは、ジェレミ・ベンサムを継ぐイギリスの法哲学者、ハーバート・ハーストだった。

    日本の分岐点になるかもしれない、七月十日からはじまる参議院選挙。

    投票には、かならず、ゆきたい。

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